2025年1月15日水曜日

2025年の特別な行事

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


「2025年の特別な行事」

現時点で分かっている、当教会の「2025年の特別な行事」をお知らせいたします。

(変更する可能性があります)

【2025年】

 3 月30日(日)10時30分より 特別礼拝・講演会(当教会)小海 基 牧師

※小海 基(こかい もとい)先生は日本基督教団荻窪教会牧師。 

「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、 ひらかれた合同教会をつくる会」会長。

礼拝後、講演会「北村慈郎牧師支援会の活動内容と趣旨について」(仮題)

 4 月 6 日(日) 9 時00分より 教会学校(当教会)

※2025年度第1回。コロナで休会していた教会学校を、年4回を目標に再開中。

 4 月20日(日)10時30分より イースター礼拝・愛餐会(当教会)

 6 月 8 日(日)10時30分より ペンテコステ礼拝(当教会)

 9 月 7 日(日)10時30分より 足立梅田教会創立記念礼拝(創立72周年)(当教会)

11月 2 日(日)10時30分より 永眠者記念礼拝(当教会)

11月 3 日(月)11時00分より 墓前礼拝(教会墓地前、埼玉県越生町「地産霊園」内)

12月21日(日)10時30分より クリスマス礼拝・愛餐会(当教会)

12月24日(水)18時30分より クリスマスイブ・キャンドルサービス(当教会)

以上は現時点で決定している行事です。

もっと増えます。ご期待ください。

2025年1月12日日曜日

イエスの洗礼

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「イエスの洗礼」

マタイによる福音書3章13~17節

関口 康

「そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである」(13節)

今日の箇所に記されているのは、主イエスが洗礼者ヨハネから受洗なさったという歴史的事実です。なぜ「歴史的事実」かについては、エドゥアルト・シュヴァイツァー先生(Eduard Schweizer [1913-2006])の説明が興味深いです(日本語版あり)。

シュヴァイツァー先生によると、ヨハネのグループとイエスの弟子集団ならびにキリスト教会との関係は、一方が他方を吸収したわけではなく並存関係だったため、イエスがヨハネから洗礼を受けたということがキリスト教会にとって不利に働く可能性があったにもかかわらず、そのことが記録されているのは歴史的事実だったからだろう、というのです。深く納得できました。

しかし、史実かどうかの問題よりも大事なのは、主イエスが「なぜ」ヨハネから洗礼をお受けになったのかを考えることです。主イエスご自身は、だれにも洗礼をお授けになりませんでした。しかし、主イエスの死後キリスト教会は洗礼を授けるようになりました。その関係がどうなっているかを、わたしたちはよく考える必要があります。

もうひとつ、今日の聖書の箇所とは必ずしも直接的な関係にはありませんが、さりとて無関係とも言えない問題を、今日取り上げさせていただきます。

今年3月30日(日)に荻窪教会の小海基先生に礼拝説教と講演をしていただきます。そのことを役員会で決めました。講演のテーマは、小海先生が現在会長になっておられる「北村慈郎牧師の処分撤回を求め、 ひらかれた合同教会をつくる会」の活動紹介と趣旨説明です。

先週の1月定例役員会で考えたのは、当教会の中には北村先生をご存じの方もご存じでない方もおられるので、なぜ小海先生をお迎えするのかについて事前に説明しておく必要があるだろうということです。その説明をいつするかは役員会では決めませんでしたが、「善は急げ」で、今日することにしました。

日本基督教団では、現時点では「洗礼」と「聖餐」の2つが「聖礼典(サクラメント)」です。ローマ・カトリック教会の「7つの秘跡(サクラメント)」(洗礼、ゆるし、ご聖体、堅信、叙階、結婚、病者の塗油)の中から、聖書的根拠があると16世紀の宗教改革者たちが認めた2つ(洗礼と聖餐)を残した形を、日本基督教団は採用しています。

私がいま申し上げたことで大事な点は、「どれをサクラメントとみなすか」については教会的な判断が必ず加わっているということです。自動的に決定されていることではなく、教会が考えて決めたことです。多くの議論があり、みんなで意見を出し合って、取捨選択してきたという歴史があることを忘れてはいけません。

北村慈郎先生による問題提起の内容は「洗礼と聖餐の関係」に関することですので、今日の箇所の「洗礼」というテーマと関係があります。「洗礼」も「聖餐」も「聖礼典(サクラメント)」であるという共通点があるからです。しかし、その話は最後にします。順を追って説明します。

ヨハネの洗礼は「悔い改めの洗礼」でした。ヨハネが明言しています。「わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けている」(3章13節)。そのヨハネのもとにヨルダン川沿いの地方一体から人々が来て罪を告白し、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けました(6節)。

だからこそ、主イエスがヨハネに洗礼を授けてほしいと志願なさったとき、ヨハネはそのことを「思いとどまらせようと」(14節)しました。立場が逆であるとヨハネは考えました。しかし、主イエスは「今は止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは我々にふさわしいことです」(15節)と言われ、そのお言葉にヨハネは従いました。

ヨハネと主イエスのやりとりの意味をよく考えなくてはなりません。特に誤解してはならないのは、ヨハネは会社の上下関係や学校の師弟関係のようなことを考えているわけではないということです。「イエスさま、もしあなたが私から洗礼を受けたら、あなたが私の弟子であるということになってしまいますが、それでもよろしいでしょうか」という意味ではありません。

そうではなく、ヨハネが問題にしたのは、彼が授けている洗礼の趣旨が「悔い改め」であることとの関係です。「イエスさま、罪のないあなたは悔い改める必要がありません。私が授けている洗礼をあなたがお受けになるのは趣旨が違います」とヨハネは言っているのです。

ある人が他の人から洗礼を受けるとある人は他の人の「弟子」になるという理解が、教会の歴史の中で全く無かったとは言えません。あるいは、聖礼典(サクラメント)の執行者たる教職(牧師、司祭)の「資質」が聖礼典の効力を左右するかどうかについての大論争もありました。いわゆる「人効説」(ex opere operantis)か「事効説」(ex opere operato)かの問題です。

日本基督教団は概ね「事効説」に立っていると言えます。しかし、不確定要素があります。たとえば「問題ある牧師」が執行した聖礼典は有効でしょうか。「あんな牧師からは洗礼を受けたくない」という感情を封印できるでしょうか。意識的か無意識か、牧師に対する「格付け」をしない教会があるでしょうか。それを「人効説」と呼ぶかどうかはともかく、聖礼典の効力が執行者と何らかの関係にあるという考え方には説得力も魅力もあるので、議論は終わりません。

しかし、主イエスはすべての事情をお受入れになったうえで、ヨハネからあえて洗礼をお受けになりました。それはなぜでしょうか。この問題に取り組んだ代表的な文献を私も学生時代に読まされました。オスカー・クルマン先生(Oscar Cullman [1902-1999])の『新約聖書の洗礼論』(日本語版あり)です。

クルマン先生によると、キリスト教の洗礼は罪の赦しを得させる洗礼でもあるが、単純にヨハネの洗礼に戻ったのではなく「ヨハネの洗礼の成就」です。「イエスの洗礼は、生涯の頂点である十字架を指し示している。イエスの十字架において、すべての者の洗礼は初めて成就を見る。十字架において、イエスは総代洗礼(Genaraltaufe)をお受けになる。それに至る命令を、ヨルダン川での洗礼に際してかれは受けられた」(同上、106頁)。

3月30日に小海基先生をお迎えいたします。特に午後の講演では、北村慈郎先生の支援会の活動について教えていただきます。2010年に日本基督教団が北村慈郎先生の教師籍を剥奪する免職の戒規を執行しました。それは北村先生が紅葉坂教会の教会総会の賛同を得て「未受洗者陪餐」を行うことをお決めになったことへの処分として教団がしたことですが、この処分は不当であると北村先生と支援会の皆さんが主張し続けておられます。

支援会のみなさんがおっしゃっているのは、「聖礼典」とは何かについての一致した見解が日本基督教団の中にあるとは言えず、世界的にも議論の最中である問題について、北村先生ひとりが狙い撃ちされたことに納得できないということです。その点は私にもよく分かる話です。

今日お話ししたとおり、「聖礼典(サクラメント)」の議論は終わっていません。みんなが悩んでいます。みんなが悩んで考えている最中に、一方の論者を問答無用で追放するという見せしめをするのはアンフェアです。真相を知る必要があるとわたしたちは考え、小海先生をお招きすることにしました。

北村慈郎先生が教師免職の戒規をお受けになった2010年時点の私は日本キリスト改革派教会の教師で、完全に部外者でしたので日本基督教団の問題にタッチできる立場にありませんでした。私も学ばせていただきたいです。よろしくお願いいたします。

(2025年1月12日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2025年1月5日日曜日

エジプトのイエス

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「エジプトのイエス」

マタイによる福音書2章13~23節

関口 康

「こうして、預言者エレミヤを通して言われていたことが実現した。『ラマで声が聞こえた。激しく嘆き悲しむ声だ。ラケルは子供たちのことで泣き、慰めてもらおうともしない、子供たちがもういないから』」(17-18節)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

しかし、新年が「おめでたい」かどうかは難しい問題です。昨年の元日に能登半島を中心に巨大地震が襲いました。ご実家が倒壊して父親を失った方が「元旦はすごく嫌い」と遺族代表としてお話しになったという記事を私も読みました。言葉がありません。

お祝いごとは一切すべきでないとまで言う必要はないでしょう。私たちにできそうなことは、たとえお祝いの日であっても、わたしたちのすぐそばに悲しみや苦しみを抱えている方々が必ずおられることに思いを寄せて、騒ぎすぎないことぐらいです。

今日の聖書の箇所は先週の続きです。内容は、イエス・キリストのご降誕の物語です。東の国の学者たちの夢に現れたのと同じ天使が今度はヨセフの夢に現れて、「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい」(13節)と命じたという話です。

ヨセフとマリアがそのとおりにしたら、ヘロデが「ベツレヘムとその周辺一帯にいた2歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」(16節)というとんでもない事件が起こりました。そのためヨセフとマリアは、ヘロデが死ぬまでエジプトにとどまりました。

そしてその後、ヨセフとマリアと主イエスはガリラヤのナザレに移りました。主イエスは大人になるまでナザレにおられ、「ナザレ人」と呼ばれるようになりました。

ナザレとナザレ人は、ヨハネによる福音書1章46節でナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と見下げる言い方をしているように軽蔑対象でした。神は天使を通してヨセフとマリアを、主イエスが「ナザレ人」と呼ばれるようになる地へと導くことによって、主イエスが見下げられる人々の側に立つ救い主であることを示されました。このような説明が可能です。

しかし、今申し上げたことは、今日の箇所の中心テーマとまでは言えません。それでは何が中心テーマでしょうか。ひとつに絞りたいところですが、2つあります。

今日の箇所の第1のテーマは、主イエスの存在とモーセの存在が重ねられていることと関係しています。その意味は、主イエスはモーセの再来であり、モーセ以上であるということです。

モーセの頃のエジプトのファラオはラメセス2世です。ヨセフの活躍によってカナン地方からエジプトへと移住したユダヤ人の人口が数百年を経て増大しました。そのことを恐れたファラオが、ユダヤ人の家庭に生まれる男の子を皆殺しにせよと命じました。そのエジプトのファラオの姿が、今日の箇所でベツレヘムの幼児を殺す命令を下すヘロデの姿と重ね合わされています。

第2のテーマは、バビロン捕囚との関係です。バビロン捕囚と主イエスの誕生との関係はマタイによる福音書冒頭の「イエス・キリストの系図」の中でも繰り返し強調されています(1章12節、17節)。両者の関係をとらえるための重要なカギは、18節で引用されているエレミヤ31章16節の言葉です。

「主はこう言われる。ラマで声が聞こえる。苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。ラケルが息子たちのゆえに泣いている。彼女は慰めを拒む。息子たちはもういないのだから」(新共同訳・旧約1235ページ)。

この「ラケル」は第3代族長ヤコブの妻ラケルです。初代族長アブラハムの子であるイサクに、エサウとヤコブという双子が生まれます。エサウは父イサクに愛され、ヤコブは母リベカに愛されます。リベカはヤコブと結託して、本来はエサウが得るべき長子の特権と祝福を奪う工作を実行しました。だまされたと知ったエサウはヤコブに殺意を抱き、ヤコブは逃亡しました。

ヤコブの逃亡先は、リベカの兄ラバンの家でした。その家に2人の娘がいました。姉はレア、妹はラケル。このラケルが、今日の箇所の「ラケル」です。

ヤコブはラケルにひとめぼれし、結婚したいと願います。しかし、ラバンは姉レアのほうを先に結婚させたかったので、ヤコブを姉レアと結婚させます。しかし、ヤコブはラケルをあきらめられず、レアと結婚しながらラケルへの求愛を続けます。結局ヤコブはラケルとも結婚します。

ヤコブの妻は2人になりましたが、子どもが生まれるのはレアのほうばかり。ラケルはレアに嫉妬し、ヤコブに「わたしにもぜひ子供を与えてください。与えてくださらなければわたしは死にます」とまで言い、ヤコブは激しく怒って「わたしが神に代われると言うのか」と返事します(創世記30章1~2節)。

結局レアの子どもが計6人、ラケルの召し使いビルハから2人の子ども、レアの召し使いジルパから2人の子どもが生まれましたが、ラケルからは子どもが生まれず、彼女は苦悩します。

その後ラケルから生まれた念願の子どもがヨセフとベニヤミンでした。ところが、第一子ヨセフは10人の兄の妬みを買い、エジプトへ下る奴隷商人に銀20枚で売り飛ばされました。ラケルに知らされたのは「ヨセフは死んだ」という虚偽の情報でした。第二子ベニヤミンは難産で、産後まもなくラケルが亡くなってしまいました(創世記35章16節以下)。

創世記35章19節に「ラケルはエフラタ、すなわち今日のベツレヘムへ向かう道の傍らに葬られた」と記されています。このラケルが葬られた場所が「ラマ」であるとする伝説があります。その伝説が今日の箇所を理解するための前提です。「ラマ」はエルサレムの北8キロ、バビロンへ通じる道沿いにあります。

愛する子どもたちを失った「ラケルの泣き声」が「ラマ」に響いている!

その後「ラマ」は、ユダヤ人の重要な軍事拠点となります。エルサレムへの侵入を妨害するための要塞にされたり(列王記上15章17~22節、歴代誌下16章1~6節)、要塞が取り壊された廃材が防衛強化のために使用されたりします(列王記上 15章22節、歴代誌下 16章6節)。バビロン捕囚(前597年)のときには、ユダヤ人はいったんラマに集められてから、バビロンへと連行されました(エレミヤ書 40章1節)。こうして「ラマ」は屈辱の地になりました。

「ラマ」に響き続ける「ラケルの泣き声」は、ヨセフとベニヤミンを失った悲しみだけでなく、「バビロン捕囚」(イスラエル王国の滅亡)によって全ユダヤ人を失った悲しみに泣く声であることをエレミヤが示し(エレミヤ書31章15節)、それが今日の箇所で、ヘロデに子どもたちを殺されたベツレヘムの母たちの泣き声へと重ね合わされています。

つまり、今日の箇所が言おうとしているのは、ユダヤの王ヘロデは、エジプト王ラメセス2世とも、バビロニア王ネブカドネツァルともそっくりだ、ということです。両者ともユダヤ人の最大の敵です。しかし、その敵の姿とヘロデは瓜二つであると今日の箇所は言おうとしています。

主イエスが「敵を愛しなさい」とお教えになりました(マタイ5章44節、ルカ6章27節)。

「敵を愛することなど絶対に不可能である」と誰もが言います。しかし、わたしたちは敵の姿と自分の姿を見比べてみる必要があります。憎らしい敵と自分の姿との間にもし類似点や共通点が見つかれば、そこに理解と和解の道が切り開かれるでしょう。

わたしたちの2025年が「和解」の年となりますように、お祈りいたします。

(2025年1月5日 日本基督教団足立梅田教会 新年礼拝)