2024年8月18日日曜日

モーセの契約

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「モーセの契約」

出エジプト記34章1~9節

関口 康

主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう』」(1節)。

みなさんはモーセをどれくらいご存じでしょうか。再び旧約聖書学の視点でお話しいたします。ユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」が、キリスト教聖書の最初の5巻と同じです。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。五書の著者はモーセであるとキリスト教会の長い歴史の中で信じられてきたからです。

しかし、そのように今日主張する人は、よほど極端な立場の人か、中身を読んでいない人です。最も単純な理由は、申命記34章5節に「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と記されていることです。自分の死を自分で書ける人はいないだろうというわけです。それだけでなく、中身を読めば読むほど五書をひとりの著者が書いたと考えることが不可能であることを示す証拠が次々と見つかりました。

それで現在考えられているのは、いわゆるモーセ五書は全く異なる時代や文化的背景の中で成立した4つほどの資料が組み合わされてできたものであるということです。資料名を古い順に言えば、「ヤーヴィスト資料(J)」(前10~9世紀、南ユダ王国で成立)、「エローヒスト資料(E)」(前8世紀、北イスラエル王国で成立)、「申命記資料(D)」(前7世紀 北王国で核の部分が書かれ、南王国で成立)、「祭司資料(P)」(前6~5世紀、バビロン捕囚とそれに続く時期)です。

これで分かるのは、五書が最終形態に至ったのは、「祭司資料(P)」が成立する紀元前6世紀以降である、ということです。しかし、モーセが活躍したのはエジプトの王(ファラオ)がラメセス2世だった頃なので、前1250年頃(前13世紀)です。全く異なる時代です。

創世記以外の4巻(出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の内容はすべて「モーセの生涯」です。創世記の内容は、1章から11章までが「神話」、12章から50章までが三代続く「族長物語」(アブラハム、イサク、ヤコブ)と「ヨセフ物語」です。

創世記は、続く4巻と無関係でなく、モーセの生涯の「前史」としての意味があります。「なぜユダヤ人のモーセがエジプトにいたのか」についての説明が創世記に書かれています。

モーセの生涯にとって最も決定的な意味を持つのは、直前のヨセフとの関係です。アブラハムの子であるイサクの子であるヤコブに12人の子どもがおり、11番目の子がヨセフです。ヨセフは父の溺愛を受け、10人の兄がヨセフに嫉妬し、ヨセフをエジプトに下る奴隷商人に売り飛ばし、ヨセフがエジプトに行くことになりました。しかし、ヨセフがエジプトで出世して王(ファラオ)に仕える司政官になり、エジプトを大飢饉の危機から救った英雄になりました。

そのとき、カナンにいたヨセフの父ヤコブ、ヨセフの10人の兄、そしてヨセフの後に生まれた12番目の子が飢饉の危機にあり、エジプトに助けを求めて来ました。自分をエジプトに売った兄たちが自分にひれ伏すのを見たヨセフは、最初は意地悪な対応をしますが、我慢できなくなって自分はあなたがたがエジプトに売り渡したヨセフであると告白します。そしてヨセフの計らいで父ヤコブと11人の兄弟がエジプトに移住することになりました。

しかし、その頃のエジプトとユダヤ人の良好な関係は、時代の流れの中で失われていきました。ヨセフのことをもはや知らない時代のエジプト王(ファラオ)が、国内に増え過ぎたユダヤ人に自分の国を乗っ取られると危機感を抱き、ユダヤ人に奴隷労働を課し、ユダヤ人家庭に生まれる男子をすべてナイル川に投げ込めと命令を出しました。

しかし、その命令に逆らって、生まれた子を生かすことにした父アムラムと母ヨケベドが、その子を葦で編んだかごに入れ、ナイル川のほとりの葦の中に隠しました。川に水浴びに来たファラオの娘がそのかごを見つけ、抱き上げました。

その様子を見ていた、その子の実の姉ミリアムがファラオの娘のところに駆け寄り、その赤ちゃんに乳をあげる乳母を紹介しましょうかと言いました。ファラオの娘は了解し、ミリアムが連れて来たのが、実の母ヨケベド。ファラオの娘が赤ちゃんにつけた名前が「モーセ」でした。

モーセはエジプトの王宮でファラオの子どもと等しい教育を受けました。しかし、ユダヤ人を虐待するエジプト人の姿を見て、憤慨し、殺してしまいます。殺人罪でエジプトを追われる身となり、シナイ半島のミディアンへ逃亡し、そこで妻ツィポラと結婚し、子どもが与えられて幸せな生活を送っていました。

しかし、エジプトで奴隷労働を強いられているユダヤ人たちへの思いがモーセの中で強くなりました。そのとき、主なる神がモーセに現れ、ユダヤ人たちをエジプトから、元いたカナンの地まで連れ帰る仕事をあなたがしなさいと命令しました。

それで、モーセはエジプトに戻ってファラオと交渉し、ついにファラオが折れて、ユダヤ人を去らせることを許可しました。しかし、実際にユダヤ人が出て行こうとするとエジプト軍の戦車600台がユダヤ人を追い、紅海の前まで追い詰めました。モーセが杖をあげると、紅海が真っ二つに割れて海の中に道ができ、ユダヤ人たちが通って向こう岸にたどり着きました。エジプト軍が全員紅海に入ったときモーセが杖を下げると海が元に戻り、エジプト軍が全滅しました。

しかし、そこまでして苦労してエジプトを脱出したユダヤ人たちが、430年間にわたるエジプトでの奴隷労働に慣れてしまい、奴隷的な意味で命令に従うことはできても、自分の意志と主体性をもって立つことができませんでした。自由になったはずの彼らが、砂漠には水がない、食べ物もないと不平不満を言いました。「お前のせいでこうなった、どうしてくれる」とモーセに食ってかかりました。

そこでモーセは神から示されてシナイ山に登り、山の上で二枚の石板を切り出し、十の戒めを石板に刻みました。それがモーセの十戒(出エジプト記20章、申命記6章)です。

しかし、問題はその先です。今日の箇所に描かれているのは、モーセが二枚の石板をシナイ山から民のもとに持ち帰ったとき、民はモーセが自分たちを捨てて逃げ去ったと思い込み、モーセと主なる神に頼ることをやめ、金で子牛の形の偶像をつくり、それをみんなで拝んでいました。

それを見たモーセは激怒し、二枚の石板を投げつけて破壊し、金の子牛を火で焼いて粉々にして水の上にまき散らして、民に飲ませました。それで、反省したユダヤ人たちに、神がもう一度、二枚の石板を与えてくださった、というのが今日の箇所の内容です。

今日の結論は単純です。主なる神はご自身の民を奴隷状態の暴力やあらゆる苦しみの中から救い出す、強い意志を持っておられます。人間は奴隷状態のままでいてはいけない、自由に生きなければならないと、神が強く望んでおられます。人間は自分の都合次第で、どんな相手でも裏切ります。しかし、主なる神は一度かわした約束をご自身のほうから破ることはありえない方です。

だからこそ、神はその民に何度でも石板を与えてくださいます。民は神への信頼を忘れ、金の子牛の偶像を拝み、モーセは怒ってその石板を叩き割ってしまいました。しかし、神は何度でも民に悔い改めの機会を与え、何度でも十戒を石板に書くように、モーセに命じました。モーセの十戒は、神がその民との間でかわしてくださった、不変の愛の約束です。

イエス・キリストにおいて示された神の愛も、同じ形をしています。わたしたちは欠けが多く、どうしようもなく罪深い存在です。しかし、イエス・キリストにおいて神はわたしたちを何度でも赦してくださり、どこまでも愛し続けてくださいます。神がわたしたちを救う意思は、不変で確実です。人間は変わっても、神は変わりません。

(2024年8月17日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)