2024年12月24日火曜日

救い主の星

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「救い主の星」

マタイによる福音書2章1~12節

関口 康

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた」(9-10節)

今夜はクリスマスイブキャンドルサービスにお集まりいただき、ありがとうございます。

私は今年3月からこの教会の牧師になりました。まだ1年経っていません。コロナの関係等で何年も中止していたイブ礼拝を再開しました。いろいろ手探りで準備しました。以前と違う点があるようでしたらお許しください。

ところで、みなさんは「クリぼっち」という言葉をご存じでしょうか。

この言葉を私が最初に見かけたのは、8年前の2016年です。なぜ時期を覚えているかと言えば、2016年度の1年間、千葉県八千代市にある千葉英和高等学校で聖書科の常勤講師だったとき、私と同期で採用された聖書科の若い女性の非常勤の先生が、生徒向けの学校礼拝で「みなさんは『クリぼっち』という言葉をご存じでしょうか」と切り出したのを忘れられないからです。

言葉の意味は単純です。「クリスマスにひとりぼっちでいること」です。今年もインターネットで「クリぼっち」という言葉が飛び交っているのを見かけました。いまだに死語になっていないと分かりました。

教会のわたしたちはそういう話を不思議に思います。教会のわたしたちにとって「クリスマス」はイエス・キリストのご降誕をお祝いする日です。ですから、わたしたちはつい「クリスマスにひとりぼっちが寂しいなら、ぜひ教会に来てください。クリスマス礼拝があります。クリスマスイブ礼拝もあります。食事もケーキもお茶もあります」と言いたくなります。

しかし、それは別の話であると認識されるというのが現代人の基礎知識です。「クリぼっち」の意味が「独りでいることが寂しい」というだけでなく「恋人が欲しい」ということであるのも、私は理解しているつもりです。イエス・キリストも教会も関係なくクリスマスが祝われることをとがめる気持ちは、私にはありません。

先ほど朗読した聖書の箇所に記されているのは、イエス・キリストがお生まれになったユダヤのベツレヘムに「東の方」から占星術の学者たちがやって来たという物語です。

地名は記されていませんが、明らかにバビロニアです。今のイラクがある地です。チグリス川とユーフラテス川にはさまれて豊かな自然に恵まれ、栄華を極めたメソポタミアの中心地。そこにあったのはユダヤ人の文化や聖書の教えとは異なるものであり、ユダヤ人とは何百年も対立してきた敵国です。

しかし、その東の国の学者たちが、自分たちの文化の中で、聖書の教えとは全く異なる考え方や方法でたどり着いた結論が「ユダヤに救い主が生まれる」ということであり、その結論に基づいて遠路はるばる砂漠の中を旅してきたことが記されています。

それが「クリぼっち」の話とどのように関係するのかを申し上げねばなりません。すぐ分かる話です。イエス・キリストも教会も関係なく盛り上がるクリスマスの季節に寂しい思いを抱え込む「クリぼっち」の方々と、聖書の教えとは別の発想と方法で「救い主の星」を見つけ、「ユダヤのベツレヘム」を目指す旅に出かけた東の国の学者たちは、同じであると申し上げたいのです。

ですから、もし今夜「教会に初めて来ました」という方がおられましたら大歓迎いたします。「神を信じるつもりはない」という方でも「居場所を求めていない」という方でも大丈夫です。

今夜の聖書の箇所に描かれているのは「最初のクリスマス礼拝」の様子です。集まったみんなで主イエスを拝んでいるので「礼拝」です。星が見える時間帯の話ですので「夜」です。その場所に「あなたは来てもいい」とか「あなたには来る資格がない」とか、そのような差別は全くありませんでした。

東の国の学者たちは「黄金、入香、没薬」を贈り物として主イエスに献げました。今夜はそれもなしです。イブ礼拝で献金を募るかどうかを役員会で相談しましたが、今回はしないことにしました。「教会に行くと取られる」とか「無くなる」というイメージが広がるのは困ります。東の国の学者たちは、あくまで自分の意志で主イエスに贈り物を献げたのであって、強制されたわけではありません。

人生も少し長くなると「ひとりの寂しさ」の意味が変わってくることを実感している今日この頃です。「恋人が欲しい」「話し相手が欲しい」「居場所が欲しい」という寂しさも分かります。しかし、私は来年で60歳です。この歳になってやっと、これまでずっといつも前を歩いてくれて背中で人生を教えてくれていた両親や恩師たちがいなくなる寂しさが分かるようになりました。

寂しさの中身は何であれ、「クリぼっち」の方々は、クリスマスでなくても、ぜひ教会においでください。「救い主の星」のもとに集まり、讃美歌を歌い、聖書を学び、祈りをささげ、楽しく過ごしましょう。心からお待ちしております。

(2024年12月24日 日本基督教団足立梅田教会 クリスマスイブキャンドルサービス)

2024年12月22日日曜日

言は肉となった

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「言は肉となった」

ヨハネによる福音書1章1~18節

関口 康

「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた」(14節)

ご承知のとおり、新約聖書にはイエス・キリストの生涯を描く「福音書」と呼ばれる書物が4巻あります。前から順にマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネです。

これらのうちで、主イエスのご降誕を描いているのがマルコ以外の3巻です。ヨハネによる福音書にもしっかり記されています。「どこに?」と思われるでしょうか。今日の朗読箇所です。

その描き方において他の福音書と違いがありすぎることは明白です。だいたい出てくる感想は「難しい」「哲学的」「抽象的」「意味不明」。そう言われれば、おっしゃるとおりと認めざるを得ないところがあります。

たとえば、今日の箇所に基づいてキリスト聖誕劇(ページェント)の台本を書けるでしょうか。至難の業であることは確実です。面白くない(=自分と関係ない)し、不適切であると感じる人は多いでしょう。

マタイやルカに描かれている物語にも、未確認生命体というべき「天使」が登場したり、結婚前のマリアが妊娠したりと、謎めいた内容が記されています。しかし、演劇として成立する豊かな内容があります。

一昨日(12月20日)私は、当教会と関係が深い保育園で子どもさんがたが演じるページェントを初めて拝見しました。みんなかわいかったです。

ヨセフとマリア、ベツレヘムの羊飼いと羊、宿屋、東方の3博士(カスパール、メルキオール、バルタザールという名前がついた伝説がある)、ローマ兵、天使と星が、飼い葉桶の主イエスを囲んで大団円。このような「人間らしい」聖誕劇なら、わたしたち自身の誕生と無関係ではない描き方ができるでしょう。

しかし、ヨハネによる福音書に基づいてどんな劇ができるでしょうか。登場人物が「ヨハネ」(6節)以外に出て来ません。このヨハネは主イエスに洗礼を授けたバプテスマのヨハネです。主イエスがお生まれになったとき、このヨハネも小さな子どもです。

ヨハネによる福音書のキリスト降誕物語の主人公は「神」です。人間の視点からではなく、神の視点から描かれています。人間の理解の限度を超えるものがあります。しかし、そのほうがいいでしょう。人間のプライドが傷つきます。だからこそ、人間の心の砦(とりで)が破られ、回心の機会が訪れるでしょう。

わたしたちが理解できるかどうかはともかく、ヨハネによる福音書がとにかく言っているのは、「神」(テオス)の「言(ことば)」(ロゴス)が「肉」(サルクス)となったのが主イエスである、ということです。

そして、その「肉となった神」であるイエス・キリストとの出会いは、父なる「神」との出会いに等しいということであり、さらに主イエスご自身が「神」であるということです。

もし主イエスが「神」ではないならば、キリスト者の祈りの言葉である「主イエス・キリストによって祈ります」という表現は成立しません。主イエスは、神でもなければ人間でもない、両方から責め立てられる、中間管理職のような存在ではありません。イエス・キリストは「神の右に座しておられる」という信仰表現もあるほど「神と等しい方」であり、つまり「神」です。

「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである」(18節)と記されています。こういう正直な文章が私は好きです。神を見たことがある人は人類史上ひとりもいません。「神を見た」と思っている人は神以外の何かを見た可能性が高いです。私も「見た」ことがないです。だからこそ「信じて」います。

このような信仰を軽蔑する人がいます。今日のクリスマス礼拝の案内をインターネットで見てくださった方の中にいました。その方自身は仏教の特定の宗派に所属していることを教えてくださいました。「神が人類を造ったというなら、その神を連れて来てみろ。できないだろう。それができないキリスト教は邪教である」の一点張りでした。

「私も神を見たことがありません。見たことがないからこそ信じております」と返事したら、「そんな愚かな宗教はやめてしまえ」と返って来ました。そこで私はやりとりを終了しました。ご自身が信じる道をお進みになればよろしい。それ以上、私から申し上げることはありません。

私の話はどうでもいいです。教会の立場については、みんなで考える必要があります。ヨハネによる福音書の成立年代は、西暦1世紀の終わり頃(90年代前後)です。それが意味することは、紀元30年ごろ十字架にかけられて地上の生涯を終えられる前の主イエスと直接的な交流を持ったことがある人々が残っていた可能性がきわめて低い時期に書かれた、ということです。

なぜ成立年代の話をするかといえば、「父のふところにいる独り子である神」(18節)としての主イエスを「見た」(同上節)と書かれていることの意味は何かを考える必要があると申し上げたいからです。この「見る」に物理的な肉眼で目視したこと以上の意味があるのは明白です。

そうしますと、ヨハネによる福音書が書かれた時代(紀元1世紀末)の人々と今のわたしたちは立場が同じであることが分かります。わたしたちが主イエスを「見る」方法は聖書を学ぶこと以外にありません。さらに、演劇があると助かります。舞台でもテレビドラマでも映画でも大丈夫です。登場人物の言葉や動作の意味を理解でき、共感できます。苦しみや痛みを共有できます。心が通います。

最後に怖い話をしていいですか。とても怖い話です。

「初めに言(ことば)があった」(1節)の「初め」は、天地創造以前、すなわち世界も人間も誕生する前を指しています。神以外の何も存在していない、「無」(Nothing)と神が向き合っておられる状態です。「時間」(クロノス)も神が創造したものなので、その点を厳密にとらえれば「時間以前」であると言うべきです。

さて問題です。「初め」に「言(ことば)」があり、「言(ことば)」が「神」であったという場合、その「言(ことば)」は、だれに向かって発せられたものでしょうか。神には話し相手がまだいないはずなのに。

この問題の答えは聖書に記されていません。しかし、可能性は2つです。

第1の可能性は、神はひたすら沈黙されていた、ということです。

第2の可能性は、神はずっと独り言を言い続けておられた、ということです。

私は前者を選びます。神は天地創造の前は、ひたすら沈黙しておられました。

しかし、神は沈黙を破られました。神は「言(ことば)」をもって「無」(Nothing)から「有」(Being)を、そして「すべて」(Everything)を呼び起こされました。神が「光あれ」と言われ、光が創造されました(創世記1章3節)。

そして神は、ご自身が創造された世界と人間を愛してくださいました。神は「愛」をわたしたち人間に告白してくださるために「肉」をお摂りになり、人間としてお生まれになりました。

生きる意味も理由も見失いがちなわたしたちに神が「わたしはあなたを愛している」と告白してくださり、「あなたは愛されるために生まれた」と教えてくださるために、イエス・キリストはお生まれになりました。

(2024年12月22日 日本基督教団足立梅田教会 クリスマス礼拝)

2024年11月23日土曜日

神の計画の確かさ

愛恵まちづくり記念館(東京都足立区関原1-21-9)

(※以下は、当教会と歴史的に深い関係にある「愛恵学園」(1930-1990)の関係者の集い(2024年11月23日、愛恵まちづくり記念館にて開催)の開会礼拝での説教(要旨)です)


説教「神の計画の確かさ」

ローマの信徒への手紙8章26~30節

関口 康

「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)

開会礼拝のために選ばせていただきました聖書の箇所は、使徒パウロのローマの信徒への手紙8章26節から30節までです。

「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」(26節)。

この「霊」は聖霊です。西暦1世紀に「三位一体」という言葉はありませんでした。しかし、西暦1世紀には「聖霊」はまだ神ではなかったということではありません。26節の意味は、「神が弱いわたしたちを助けてくださる」ということです。

そして「わたしたち」は人間です。パウロによると、わたしたち人間の弱さは「どう祈るべきかを知らない」ことにあります。しかしこれは、人間は祈る言葉を全く知らないとか、祈ることは不可能であるとか、祈りは無意味であるということではありません。

そのようなことよりも、「言葉がない」という日本語表現のほうに近いです。私も牧師の末席を汚しています。教会員のご家族の不幸。教会員ご自身の事故や病気。大規模な自然災害。人為的な犯罪や破壊行為。そして戦争。何か言わなければ、言葉にしなければ、と思いながら「言葉がない」。祈る言葉も見つからない。神に何を言えばいいか分からない。

そのようなとき「霊(なる神)がわたしたちを助けてくださる」とパウロは言います。しかし、そのとき神は「あなた、どうせ何も言えないんでしょ。それなら黙っていなさいよ。私が代わりにしゃべってあげるわよ」という調子で、神ひとりが饒舌にお語りになるわけではありません。むしろ神も沈黙されます。なぜでしょうか。

わたしたちが「言葉がない」とうつむくのは、傷つき苦しむ当事者のことを「知っているふりをしたくない」からでしょう。その人に苦しみの意味を説明してあげて、解決方法まで教えてあげれば事が足りるなどとはとても思えないから「言葉がない」わけでしょう。

神はそのようなわたしたちの気持ちに寄り添ってくださる仕方で沈黙なさるのです。わたしたちと一緒にうめいてくださるのです。神もまた「知っているふり」をなさらないのです。説明もなさいません。

この「わたしたちはどう祈るべきかを知らない」(26節)について、16世紀のドイツの宗教改革者マルティン・ルターが『ローマ書講義』(1515年 / 1516年)で次のように解説しています(松尾喜代司訳。英語版はAmerican Edition)。

「たとい、一見われわれの祈願に反することが生じても、それは決して悪いしるしではなく、むしろ最もよいしるしである。それは、われわれの祈願に対して、すべてが全くねがいどおりに与えられたならば、決してよいしるしではないのと同様である」

“It is not a bad sign, but a very good one, if things seem to turn out contrary to our request. Just as it is not a good sign if everything turns out favorably for our request.”

その意味は、「神の計画とご意志は人間の計画と意志をはるかに超えたものである」ということです。ルターは次のように続けています。

「神は、その賜物を賜う前に、まずわれわれのうちに有るものを破砕し・撃滅するのが神の性質である」

“It is the nature of God first to destroy and tear down whatever is in us before He gives us His good things.”

ルターの言うとおりです。もしすべてがわたしたちの祈りどおり、わたしたちのリクエストどおりになるというなら、その祈りは魔法使いの魔法杖です。その杖を振れば、どんな夢でも叶えられる。

ルターによると、わたしたちのリクエストどおりになることはバッドサインであり、リクエストどおりにならないほうがベリーグッドサインであり、そもそも祈る前にわたしたちが抱いているリクエストそのものを神はデストロイなさるというわけです。

ルターはずいぶん激しいことを言います。しかし、説得力があります。

それでパウロは言います。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています」(28節)。

ここで「わたしたちは知っています」とパウロが書いていることの意味は、ユダヤ教の伝統や初期キリスト教の教えと合致しているということです。だれでも知っている普遍的真理であるとか一般論ではありません。パウロはあくまで「神を愛する者たち」に語りかけています。

しかも、前後の文脈を考えれば、パウロが言う「万事が益となる」の「万事」の内容の大半は「苦しみ」です。「言葉がない」と音を上げるほどの苦しみの日々が、パウロの言う「万事」です。世の中で、社会の中で、人生そのものの中で、「楽しい」と感じることはほとんどなく、「苦しいことだらけだ」と絶望しかけている信仰者にとっての「万事」です。

しかし、その苦しみもまた、いや、その苦しみこそをわたしたちの「益」にしてくださるのが、わたしたちの神であり、神の計画である、ということをパウロが記しています。

「お前が言うな」と、どうかお怒りにならないでください。大先輩の皆さまはきっと、「パウロの言うとおりだ」と受けとめてくださると思います。

「日本の教会がピンチである」と多くの人が嘆きます。そういう言葉をよく聞くでしょう。しかし、私は全く同意できません。

ルターの言うとおりです。わたしたちのリクエストどおりにならないことのほうがベリーグッドサインです。「日本の教会がピンチである」と言う人たちは、自分のリクエスト通りにならないことに苛立っているだけです。わたしたちのリクエストは神がデストロイなさるのです。

しかし、気を付けなくてはならないことがあります。26節に戻りますが、「霊が弱いわたしたちを助けてくださる」と言われている場合の、神がわたしたちを助けてくださる方法は、《神が100%働いてくださって、人間の働きは0%になる》のではありません。

「言葉が無い」だの「どう祈るべきかを知らない」だのと言い訳ばかりして役に立たない人間はクビにして「お前はもう黙っていろ。何もするな。わたしが全部するから見ているだけでいい。わたしの邪魔をするな」と、人間の代わりに神がすべてしてくださるわけではありません。

あるいはまた、《人間が99%働いて、神が1%付け加えてくださる》というのでもありません。

教団とか教派とかの文脈に身を置くと、イヤな話を繰り返し耳にします。「自立できないような小さな教会を維持したがるのは人間の願望にすぎない。そういう教会は解散するほうが神の御心である。一般企業と同じように、教会においても『選択と集中』を推し進めるべきである」などと言い出す人たちがいます。ひどいと思いませんか。

私は足立梅田教会に来させていただいたことを幸せに思っています。皆さん「やる気満々」ですから。わたしたちの神は「やる気満々」の人々を見捨てる神でしょうか。そんなことありえないですよ。

「聖霊なる神」が弱いわたしたちを助けてくださる方法は《神100%、人間100%》です。どんなことがあっても心が折れず、希望を捨てない人々を、神は決して見捨てません。

今日お集まりの皆さんの教会も同じです。「小さな教会を畳むことが神の御心である」などと、どうかおっしゃらないでください。心が折れそうなときは足立梅田教会を思い出してください。私もぜひ、皆様のお仲間に加えていただきたくお願いいたします。

(2024年11月23日 野比の会(愛恵学園の会)開会礼拝、於 愛恵まちづくり記念館)

2024年11月17日日曜日

敵を愛しなさい

 

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教「敵を愛しなさい」

マタイによる福音書5章38~48節

関口 康

「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(44節)

今日の箇所は主イエスの「山上の説教」に含まれる言葉です。「山上の説教」はマタイ福音書の5章から7章までにあります。

「山上の」を付けるのは、マタイ福音書5章1節に「イエスはこの群衆を見て山に登られた」と書かれているからです。ルカ福音書6章20節以下に平行記事がありますが、「イエスは彼らと一緒に山から下りて、平らなところにお立ちになった」(ルカ6章17節)と書かれているので、マタイと内容は重複していますが「地上の説教」や「平地の説教」と呼ばれて区別されます。

今日の箇所に「あなたがたも聞いているとおり、『目には目を、歯には歯を』と命じられている」(38節)とあります。この言葉は旧約聖書(ユダヤ教聖書の『トーラー(律法)』)に3か所あります(出エジプト記21章24節、レビ記24章20節、申命記19章21節)。

これは「同害報復(talio タリオ)」と呼ばれる法思想です。「同害報復」について詳しく論じられているのは、加藤恵司氏の「同害報復の法思想」という論文です(2009年、聖学院大学論叢22(1)、ウェブ版、1-18頁を参照)。

同様の規定が「ハムラビ法典」に出てくることは比較的よく知られています。「ハムラビ法典」とは、前1800年から前1700年頃、バビロン第一王朝6代目の王の時代にアッカド語で書かれたもので、「古代シュメール法」の影響を受けています。

「古代シュメール法」とは、20世紀になって徐々に発掘され、解読されて来た3文書の総称です。3文書とは「ウル・ナンム法書」(前2100年頃)、「リピト・イシュタール法書」(前1900年代初頭)、「エシュヌンナ法書」(前1920年代説とハムラビ法典に近い時期説あり)を指します。

加藤氏によれば、古代シュメール法には同害報復の思想を見出すことができず、ハムラビ法典と古代イスラエル法の「同害報復刑」は古代における新しい思想です。

そして加藤氏によれば、「同害報復」は第一に「犯罪に対する平等の思想」、第二に「人権尊重の思想」、第三に「正義の思想」であると特徴づけることができます(前掲書、15~16頁)。

私はこの説に同意します。同害報復の趣旨が、行き過ぎた私的復讐(プライベートリベンジ)の禁止であることは明白だからです。

たとえば創世記4章24節でカインの子孫のレメクが「カインのための復讐が7倍なら、レメクのためには77倍」と言っています。半沢直樹の「倍返し」どころではありません。復讐しないかぎり事態が収拾しないというなら、「倍返し」でも「77倍返し」でもなく、「されたことをする」だけにしなさいというのが「同害報復」の基本思想です。

「目には目を、歯には歯を」の意味は「目に物見せてやる」の正反対です。被害者が加害者への怒りに燃えて復讐の鬼になるのを抑えること、すなわち復讐の限定と抑制を意味します。

しかし、主イエスは、同害報復(タリオ)についてのそのような解釈の問題には巻き込まれません。みんなの頭上をひょいと飛び越えて「悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」(39節)とおっしゃいます。主イエスによると、悪人には一切抵抗してはいけないのです。

この主イエスの言葉にいろんな解釈があります。最も安易なトリックだと私には思えてならない解釈は、「この教えを守ることは人間には不可能なのであります。わたしたちの復讐心を抑えることは絶対にできません。この教えを決して守ることができない罪深いこのわたしたちのために、主イエスは十字架にかかって死んでくださったのであります。アーメン」というものです。

今やや早口でからかうような言い方をしてすみません。しかし私の正直な気持ちです。そのようなことを主イエスは教えられたでしょうか。はなからだれにも守らせる気のない言いつけをする主イエスの存在を想定しなくてはならないでしょうか。私には受け入れることができません。

わたしたちも、主イエスが「~しなさい」とか「~してはならない」とおっしゃっていることを、はなから無視するのではなく、従おうとするほうがいいです。

主イエスの教えを守るという線から導き出される「悪人に手向かってはならない」の意味は「悪は悪である。あなたまでも悪人と同じ姿になって同じことをしてはならない」ということです。これは私の自説を唱えているのではなく、こういう解釈があるのをご紹介しています。

「敵を愛しなさい」(44節)も同じ理屈です。「敵は敵である」ということです。神の義の基準は変更されません。黒いものを白いと言い張り、天地を逆転させ、悪が悪ではないかのように、敵が敵ではないかのようにすり替えて誤魔化すことと主イエスの教えを混同してはいけません。

そして大事なことは、復讐心の本質としての怒りや憎しみのコントロールの問題です。怒りに任せ、復讐心に燃えて、暴れ回って相手を攻撃しているときの自分の姿を鏡に映して見てごらんなさい、相手と同じではないですか、そんなふうに成り下がってはいけません、ということです。

「下着と上着」(40節)や「1ミリオンと2ミリオン」(44節)の話は当時のユダヤの社会状況とのかかわりがあります。

この「上着」は外套(マント)です。「下着」は借金の担保にとられる可能性がありましたが、貧困生活者の寝床になる「上着」(外套)を担保として取ることは禁止されていました。しかし、主イエスは、上着を求める人にはプレゼントすればよいと教えます。自分の権利を主張するよりも、だれかのために自分の外套を脱ぐほうが、人間関係の新しい可能性が広がるでしょう。

「ミリオン」は約1480メートルです。「行くように強いる」(41節)は強制労働です。想像できる状況は、強制労働者はひとりではないということです。同じ立場の人が大勢います。そうであるときに、「私は1ミリオンも強制的に歩かされた」と恨むのか、それとも「私は仕事仲間と一緒に2ミリオンも歩くことができた」と感謝するのかで、大きな差があるでしょう。

行き詰まった状況を打破し、硬直した人間関係を緩めるために必要なのは、個人的な取り組みです。この箇所の主イエスの教えに基づいて、国の法律や行政の条例や団体のルールを作ることは不可能です。また、そうする意味はありません。

主イエスがなさっているのは、個人レベルの話です。集団や団体でできないことを、個人がするのです。団体は法とルールに縛られています。個人は団体より自由で楽しいです。

教会も例外ではありません。今日の箇所の教えも、「山上の説教」全体も、これを団体としての教会のルールにすることはできません。

「あなたは右の頬を打たれたときに左の頬を向けませんでした。あなたはイエスの教えに反していますので、あなたを真のキリスト者であると認めることができません」などと排除の論理に悪用してはいけません。主イエスの教えは他人を切り裂く刃物ではありません。

「敵を愛しなさい」という教えは、わたしたちの人生に新しい可能性を与えます。

「どう生きることがカッコいいか」という問題は無関係かもしれませんが、関係あるかもしれません。

(2024年11月17日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2024年11月14日木曜日

教会学校のお知らせ

 

「教会学校のお知らせ」

すっかり秋ですね!朝夕は寒いと感じます。皆さんの健康と勉強の日々が守られますように、お祈りしています。

11月24日(日)、教会の「収穫感謝日」の午前9時より、子ども向けの「教会学校」を行います! 

聖書のお話、讃美歌、お祈り、おやつ、ゲームがあります。ぜひ出席してください。歓迎します!

日本キリスト教団 足立梅田教会

〒123-0851 足立区梅田5-28-9 TEL 03-3887-4010

adachiumedachurch@gmail.com    www.adachiumeda.church


2024年11月10日日曜日

アブラハムの模範

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「アブラハムの模範」

ガラテヤの信徒への手紙3章7~14節

関口 康

「だから、信仰によって生きる人々こそ、アブラハムの子であるとわきまえなさい」(7節)

今日の聖書の箇所は、使徒パウロのガラテヤの信徒への手紙3章7節から14節までです。

この手紙のパウロは、最初から最後までけんか腰です。聖書に慰めを求めて読むとがっかりする可能性がある文書であるということを、あらかじめご承知置きいただきたく願います。

1章1節からけんか腰です。

「人々からでもなく、人を通してでもなく、イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父である神とによって使徒とされたパウロ」

これで言いたいのは、この手紙を書いているわたしパウロは、人間によって使徒にされたのではなく主イエスと父なる神によって使徒とされた者なのだから、これからわたしが言うことを黙って聞きなさいと言っているのと同じです。

1章6節から事件の概要です。

「キリストの恵みへ招いてくださった方から、あなたがたがこんなにも早く離れて、ほかの福音に乗り換えようとしていることに、わたしはあきれ果てています。ほかの福音といっても、もう一つ別の福音があるわけではなく、ある人々があなたがたを惑わし、キリストの福音を覆そうとしているのです。しかし、たとえわたしたち自身であれ、天使であれ、わたしたちがあなたがたに告げ知らせたものに反する福音を告げ知らせようとするならば、呪われるがよい」。

私が手塩にかけて育てたあなたがたに伝えたこととはまるで違う教えに、よくも早々と乗り換えようとしているのは一体何ごとか、と言っているのと同じです。「呪われよ」とまで言い出すと辛辣さがピークです。激辛です。

この手紙のすべてを一気に読むわけに行きませんので、かいつまんだところをピックアップしていきます。1章12節から始められるのは、パウロの証しです。

わたしパウロは先祖代々ユダヤ教徒の家庭に生まれ育ち、「神の教会」(キリスト教会)を迫害し、滅ぼそうとしていたほど熱心なユダヤ教徒でした。しかし、そのわたしを神が「母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって(使徒として)召し出してくださった」と言っています。

これで言おうとしているのは、自分の意志によらず、あるいは自分の意志に反して、このわたしパウロはキリスト教徒になり、キリストの使徒になったということです。

彼が目指していたのは、ユダヤ教の律法学者です。当時のユダヤはローマ帝国の属国でしたが、そのユダヤを統治する最高権力者会議たる最高法院(サンヘドリン)の議員になることが究極の夢でした。

最高法院の議員数は70名。議長・副議長を合わせれば71名か72名。そのメンバーはエリート中のエリートでした。

パウロはそれを目指してがんばっていましたが、その自分がなりたかった、なろうとした者にはなれず、就きたかった職業には就けず、最も忌み嫌っていたキリスト教徒になりました。自分の意志ではなく、神が決めた進路に進ませられることになったというニュアンスです。

パウロがキリスト者になったばかりの最初の頃にお世話になった人がいました。それが生前の主イエスの一番弟子、使徒ペトロです。1章18節以下の「ケファ」は使徒ペトロです。「ケファ」(アラム語)も「ペトロ」(ギリシア語)も「岩」という意味です。

「それから三年後、ケファと知り合いになろうとしてエルサレムに上り、十五日間彼のもとに滞在しました」(1章18節)。

「それから三年後」(1章18節)はオリエントの数え方だそうで、その意味は「足掛け3年」ということで、「満」でいえば「2年」であると解説されている註解書があります。もしその解説が正しければ、「2年後」です。「アラビアに退いた」とか「再びダマスコに戻った」とか書かれています。その年数は書かれていませんが、年数よりも大事なのは、短期間だったことです。

5年も前ではなさそうです。「つい最近」と言える頃にはまだ熱心なキリスト教の迫害者、言い換えれば「教会の敵」であったこのわたしパウロにペトロは会ってくれた、ということはペトロがパウロを信用して受け入れたことを意味するわけですから、それだけでパウロにとってペトロは十分に恩人でしょう。

ところが、大事件発生。「その後14年経ってから」(2章1節)パウロは再びペトロに会っています。その場所はエルサレムでした(同上節)。この2人の3回目の会談が、今度はパウロがそのときいたアンティオキアのほうで行われました(2章11節)。

そのときです。パウロがペトロを面罵したというのです。パウロは、恩人ペトロを公衆の面前で怒鳴りつけました。そのときパウロが何を言ったかが、2章14節に記されています。

「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。

パウロの言い分は、ペトロを筆頭者とするエルサレムの教会の人たちが、洗礼を受けただけでは真のキリスト者ではなく、割礼を受けることによってこそ初めて真のキリスト者になることができる、というようなことを教える人たちにそそのかされて、その流れに飲み込まれ、異邦人教会に不当な圧力と過剰な負担を強いている、ということです。

生まれながらのユダヤ人たちは嬰児の頃に割礼を受けているので、儀式の最中はその痛みにきっと泣き叫んだでしょうが、恐怖の記憶が残っているわけではありません。しかし、異邦人の割礼の場合は、成人になってから受けるわけですから、とんでもない恐怖と痛みです。

「ああ、物分かりの悪いガラテヤの人たち、だれがあなたがたを惑わしたのか」(3章1節)

パウロは強い落胆を隠しません。パウロが言いたいのは、聖書を読んでごらんなさいということです。

「アブラハムは神を信じた。それは彼の義と認められた」(創世記15章6節)と書かれているでしょう。「律法を行ったから義と認められた」とも「割礼を受けたから義と認められた」とも書かれていないでしょう。

モーセの出現はアブラハムのはるか後です。モーセの律法が生まれるまで誰も救われなかったのですか。そんなはずはないでしょうと言っているのです。キリスト者はアブラハムの模範に従うべきであるとパウロは言っているのです。

その意味は、神を信じるだけでいい、それ以外の何も求められていない、割礼を受けなければならないだなんてありえない、ということです。

こうしなければ、ああしなければ真のキリスト者ではないと、キリスト教信仰にあれやこれやと追加される要求に一切惑わされてはならないと、今日の箇所が、そしてガラテヤの信徒への手紙全体が、強く激しく訴えています。

「人は律法の実行ではなく、ただイエス・キリストへの信仰によって義とされる」(2章6節)というのがガラテヤの信徒への手紙の中心テーマです。

教会も同じです。信仰だけでいいです。他になんにも要りません。手ぶらで大丈夫です。

(2024年11月10日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2024年10月27日日曜日

私たちが神をおそれる理由

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「私たちが神をおそれる理由」

マタイによる福音書10章26~33節

関口 康

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(28節)。

今日の箇所はマタイによる福音書10章26節から33節までです。10章1節に「イエスが十二人の弟子を呼び寄せ、汚れた霊に対する権能をお授けになった」(1節)とあります。多くの弟子の中から12人の使徒を主イエスご自身がお選びになり、世の中へと派遣されました。

主イエスはすべてをおひとりで抱え込んで、ほかのだれにも何もお任せにならないような方ではありません。神のみわざを共に担う仲間を集め、その人々に何を語り、何をなすべきかを教え、ご自身のみわざをお託しになる方です。

その一点において、主イエスは教会の牧師と同じです。ユダヤ教のラビとも共通しています。共通点は、上下関係ではないことです。役割分担です。

当時、主イエスは「およそ30歳」(ルカ3章23節)でした。使徒を「弟子」とも言いますが、ペトロたちが主イエスと年齢が大きく離れているとは考えにくいです。12人の中に主イエスよりも年上の人がいたかどうかは分かりませんが、いたからといっておかしいとも言えないでしょう。

皆さんがよくおっしゃるではありませんか、「役員会の中で牧師がいちばん若い」と。主イエスと牧師が「同じ」と申し上げているのは、その意味です。

私は皆さんの上司ですか、皆さんは私の部下ですか、そうではないでしょう。年齢が上だから先輩、下だから後輩、というような枠組みも、主イエスと弟子たちの関係とは無関係です。

「教える」というのも、学校の教員が生徒に対してすることとは違います。「まだ知らないことを知ってもらう」という点は同じかもしれませんが、「まだ知らないこと」の意味が違います。教科書に書いてあるとか、大人たちは知っていることを子どもたちにも分かってもらうことが学校の働きだとすれば、主イエスが弟子たちにされたのはそういうことではありません。

主イエスが弟子たちに「教えた」のは、このわたしは何者なのか、何を語り、何をするために今ここにいるか、です。わたしはキリストである。わたしは救い主である。わたしは神の言葉を伝えに来たのである、と。

それを「教える」ことで何をしておられるかといえば、このわたしと一緒に生きてほしい、わたしの目指す目標を共有し、みわざを共に担ってほしいと訴えることです。

「いやいや、学校の教師と生徒の関係も、会社の上司と部下の関係も、それと同じですよ」とおっしゃる方がおられるかもしれません。違いを強調する必要はないかもしれません。夢や理想を言葉にして伝え、力を合わせて実現する。「それは学校だって会社だって同じです」と言われれば、たしかにそうかもしれません。

一昨日、久しぶりにラーメン店に行きました。看板に「昭和29年創業」と書かれていました。1954年です。今年70周年。昨年70周年のわたしたちの教会とほぼ同じです。

帰宅後ネットで調べたら、最初は「わずか6坪の雨漏りのする食堂」だったが、現在は全国総店舗数400、年間延べ利用者数3500万人に成長。次なる目標は1000店舗。さらに海外への進出を目指し、「日本のらーめん文化をグローバルスタンダードにしたい」と書いてありました。今の社長さんは創業者の息子さんです。

聖書と関係ない話をしていると思っていません。主イエスと弟子たちの関係、そして主イエスと教会との関係はどういうものなのかを考えるための材料を提供しています。

今日の箇所は、いまご説明した話の流れの中に位置づけられています。これは主イエスが弟子たちを世の中に派遣されるに際しての激励の言葉です。そして、これはこのまま今のわたしたちに当てはまる言葉です。

聖書学者の言葉を借りていえば、今日の箇所(26~33節)の趣旨は「イエスの名を告白するとき、人を恐れないようにと勧めている」(J.T. ニールセン)、「総じて敵対的な人々を前にしてイエスを告白すべき弟子たちの教会に対し、慰めを語りかけようとしている」(E. シュヴァイツァー)などと説明されています。

「覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」(26節)が「人々を恐れてはならないこと」の理由になっているのが、どうつながるのか分かりにくいかもしれません。

教会に敵対する人たちには大なり小なり隠しごとがあるが、そういうのは必ず発覚するものなので、そこで転んで失敗するでしょう、というような意味ではありません。そうではなく、「信仰を告白すること」自体を指していると読むべきです。

信仰告白とは「公に言い表すこと」です。隠れたまま、隠されたままがいつまでも続くことはないと、主イエスご自身がおっしゃっているのです。

「明るみで言いなさい」「屋根の上で言い広めなさい」も同じです。信仰を告白しなさい、公に言い表しなさい、ということです。

やや個人的な話になって申し訳ありません。思い出すことがあります。私の息子が中学生の頃だったので、15年ほど前です。2010年前後です。私は松戸の改革派教会で牧師をしていました。当時に限ったことではありませんが、特に当時、私は伝道に行き詰まりを感じていました。それで、中学生の息子に「お父さんどうしたらいいかね」と相談したのです。

息子の返事は即答でした。「商店街の真ん中で説教すれば?」と言いました。息子の言う通りだと思いました。

息子が中学生、娘は小学生。妻は福祉施設勤務。私は日曜日は教会。国民の祝日は、教団でいえば教区や支区のようなところ、改革派教会では中会・大会と言いますが、その会議だ修養会だ。それ以外にも自主的な研究会だ。

私はそのようなことの「準備」と称して、いちばん近くにいる家族に背を向けて、牧師室に引きこもって、パソコンの画面をにらみつけて書類を作ることに明け暮れていました。

その私の姿を、息子は苦々しく思っていたのでしょう。もっと教会の外へと出ていけばいい。商店街の真ん中で説教すればいい。内向きではなく外向きに語るべきだ、と。

その後、2016年から私は複数のキリスト教主義学校の聖書科講師として働きました。繰り返し思い出すのが息子の言葉でした。「商店街の真ん中で説教している」気持ちで授業をしました。「明るみで言いなさい」「屋根の上で言い広めなさい」も、趣旨は同じです。

「体を殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことができる方を恐れなさい」(28節)とあるのは、信仰告白に伴う迫害や攻撃を恐れるなという主イエスからの激励の言葉です。殉教の可能性すらある中でも恐れるな。

聖書学者エドゥアルド・シュヴァイツァーが「魂」は「生命」と訳すべきであると提案しています。我々の信仰によれば、肉体の死をもってわたしたちの生命が終わるわけではないからです。神と共に生きる永遠の生命があるからです。

わたしたちと神との関係は、だれにも妨げることはできません。神がわたしたちを愛してくださるというのですから、神とわたしたちの関係はいつまでも切れません。神と共に生きることを指して「永遠の生命」というのです。

「わたしたちが神をおそれる理由」は、わたしたちが神の顔色うかがいをしなければならないからではありません。愛するに値しない罪深いこの私をも愛してくださる神の愛の大きさに恐れおののくのです。

(2024年10月27日 日本基督教団足立梅田教会 主日礼拝)

2024年10月6日日曜日

信じるものを求めている方々へ

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「信じるものを求めている方々へ」

ヨハネによる福音書11章28~44節

関口 康

「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」(14節)

今日の箇所に登場するのは主イエス。マルタ、マリア、ラザロの3人姉弟。そして数名のユダヤ人です。一連の物語が11章冒頭から始まっています。

3人姉弟のうちマルタとマリアはルカ福音書10章に登場する姉妹と同じです。ルカ福音書のその箇所にラザロは登場しませんが、必ず全員の名前を書かなければならないことはないでしょう。

3人の年齢順は分かりません。マルタが「マリアの姉」なのは明白です。「兄弟ラザロ」は2人の姉の「弟」とみなされることが多いですが、確証はありません。2人の妹の「兄」である可能性が無いとは言えません。

しかし、全員成人している同年配の肉親同士の「男1人、女2人」で共同生活を営む家族は意外と珍しく、町の中で目立っていた様子がうかがえます。

ルカ福音書10章のほうを先にお話しします。主イエスがマルタとマリアの家までわざわざ来てくださいました。姉マルタはおもてなしをしなくてはと忙しく立ち回りました。妹マリアはお客さまの前に座り込み、じっと話を聴いていました。

マルタは激怒して主イエスに抗議しました。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」(ルカ10章40節)。

主イエスはおっしゃいました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」(同10章41~42節)。

厳しい言葉です。私はおふたりとお話ししに来たのです、とおっしゃっているのです。私がいつ「もてなしてほしい」とあなたに頼みましたか。おもてなしはコミュニケーションを円滑にする手段であっても目的ではありません。肝心なことを忘れていませんか、です。

同じ姉妹が今日の箇所に登場します。このときもイエスさまがマルタとマリアの家に来られています。しかし、ルカ福音書の場面と状況が大きく違います。イエスさまがこの家に到着されたとき、ラザロは亡くなっていました。葬儀も終わり、墓に埋葬されて、4日経っていました。遺体から臭いもすると、マルタが言っています(39節)。

そのことを主イエスがご存じなくて、この家に到着して初めて知って驚かれたという話ではありません。主イエスはすべてご存じでした。それどころか、11章の最初から読むと分かりますが、意図的に到着を遅らせました。

遅刻の理由が14節に記されています。「ラザロは死んだのだ。わたしがその場に居合わせなかったのは、あなたがたにとってよかった。あなたがたが信じるようになるためである。さあ、彼のところへ行こう」(14節)。

「あなたがたが信じるようになるためである」を、古い英語聖書(KJV(1611)、RSV(1952)、NIV(1978)など)はso that you may believeと訳しています。より新しい英語聖書(REB(1989)など)はfor it will lead you to believe。直訳すれば「それがあなたがたを信じることへと導くだろうから」。

主イエスが到着されたとき、多くのユダヤ人がマルタとマリアを慰めていました(19節)。マルタは主イエスが到着したと聞いて迎えに行きましたが、マリアは家の中に座っていました(20節)。2人の態度はそれぞれルカ福音書10章の場面と似ていますが、内容は大きく違います。

マルタはとにかく体を動かして主イエスのために働く「行為の人」です。しかし、ルカ福音書のときと正反対なのはマリアです。座っているのは同じですが、ルカ福音書のマリアは主イエスの話を聞く人でした。しかし、今日の箇所のマリアは、主イエスから顔を背けて座り込んでいる人です。

マルタもマルタで、イエスさまのもとに駆けつけはしましたが、おもてなしをするためではありませんでした。また抗議です。激しい抗議です。

「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(21節)。こんな大事な時になぜ遅刻したのか。わたしたちを愛しているとおっしゃる言葉のすべてはウソか。帰ってくれとは言わないが反省してほしい、です。

そのあと主イエスと押し問答が始まります。マルタは教えの正しさという面で主イエスの言葉に同意することはやぶさかでないと返答したようには読めますが、元通りの信頼関係を回復できた様子はありません。

それから主イエスは、マリアを呼んでほしいとマルタに願われました。そのことをマルタがマリアに伝えたら、マリアが「すぐに立ち上がり、イエスのもとに行った」(29節)というこの描写は、胸を打たれます。

わたしたちは主イエスにとって不要だった、多くの弟子の中のワンオブゼムだった、それなのになぜ「愛している」というのかと、何もかも信じられなくなってしまったマリアに、主イエスが「会いたい」と自分を呼んでくださった。そのことが分かって「すぐに」立ち上がれたのです。

イエスさまは「まだ村に入らず、マルタが出迎えた場所におられた」(30節)も、感動的です。2人に会うまでは一歩も動かないと、イエスさまが決心しておられたかのようです。

マリアはイエスさまのところに来ました。そしてマルタと全く同じことを言いました。「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」(32節)。そしてマリアは泣き、一緒にいたユダヤ人たちも泣いた。

そのときです。主イエスが「涙を流された」(35節)のは。

主イエスがなぜ泣かれたかは記されていませんが、想像ぐらいできます。理由として考えられるのは、マルタもマリアもイエスさまに同じことを言った、その内容です。

「もしここにいてくださいましたなら」?

わたしがいつ、あなたがたと一緒にいなかったと言うのか。この場所、この空間に、四六時中、目に見える距離にいれば「共にいてくれている」とか「愛してくれている」と思ってもらえるが、少しでも離れたら「もういない」とか「愛していない」ということになるのか。そんなことありえないだろう。なぜ私の愛を疑うか、ということに憤慨された「涙」です。

ラザロだってそうだ。「死にました」?「墓に葬りました」?

だからラザロは「もういない」のか?「もう愛さなくていい」のか?きれいさっぱり忘れるのか?あなたがたはなぜそんなふうに考えることができるのか。私があなたがたのことをどれほど愛しているかをどうしたら伝えられるのだろうか、という葛藤の中で流された「涙」です。

19世紀デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールの『死に至る病』(1849年)は、ヨハネ福音書11章のラザロについての解釈から書き始められています。キルケゴールによると、キリスト教的な意味では「死」でさえも「死に至る病」ではありません。「死に至る病」とは「絶望」であると言っています。

主イエスはラザロの墓に行き、大声で「ラザロ、出てきなさい!」と叫びました。「すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。顔は覆いで包まれていた」(41節)と記されています。主イエスは、人々に「ほどいてやって、行かせなさい」とおっしゃいました。

ラザロは布でぐるぐる巻きにされたままで墓から出てきましたので、本当に生きているかどうかをまだ確認できません。いずれにせよ、ラザロの「蘇生」は、主イエス・キリストに起こった出来事と同じ意味での「復活」ではありません。主イエスの「復活」の前ぶれですが、「蘇生」自体はわたしたちの信仰の対象ではありません。

この箇所が教えていることは、「信じる」とはどういうことか、です。この「信じる」は、「主イエス・キリストが、いつも共にいてくださり、愛してくださっていることを信じる」です。

今日の説教題「信じるものを求めている方々へ」に興味を持ってくださった方々に、「主イエスの愛の強さと深さを信じてください」とお伝えしたいです。「絶望」という「死に至る病」から逃れる道です。

(2024年10月6日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年9月8日日曜日

世を愛する神の愛 北村慈郎牧師

北村慈郎牧師(2024年9月8日 日本基督教団足立梅田教会)

説教「世を愛する神の愛」

ヨハネによる福音書3章16~21節

北村慈郎牧師(当教会第2代牧師)          

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(16節)

今日は足立梅田教会創立70周年記念礼拝の説教を頼まれまして、私はここに立っています。

私は現在82歳なので、足立梅田教会で私が説教するのはおそらくこれが最後ではないかと思います。そこで今日は、私がこれが聖書の使信(メッセージ)の神髄ではないかと思わされていることを、この説教でみなさんにお話しさせてもらいたいと思います。

先ほど司会者に読んでいただいたヨハネによる福音書3章16節は、神の愛を語っている新約聖書の中でも最も有名な言葉の一つです。

このヨハネ福音書3章16節は、古くから「小福音」と呼ばれてきました。この3章16節一節の言葉の中に、イエスさまがもたらされた喜ばしき音ずれである「福音」が見事に言い表されているという意味で、この言葉を「小福音」と呼んで来たのです。

ここに語られています「世を愛する神の愛」は、ヨハネ福音書とヨハネの手紙全体を貫いている根本的なテーマの一つですが、そのことがこの箇所ほど明確に出ているところは他にはありません。

このヨハネによる福音書3章16節は、その前に記されていますイエスとニコデモとの対話(3章1~15節)を受けて記されています。

イエスとニコデモとの対話で中心になる言葉は、3節のイエスの言葉です。「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新しく生まれなければ神の国を見ることはできない』」という言葉です。

その後、ニコデモはイエスに「『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか』」(4節)と頓珍漢な質問をします。すると、ニコデモにイエスは答えて、このようにおっしゃいます。

「『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。肉から生まれるものは肉であり、霊から生まれた者は霊である。「あなたがたは新しく生まれなければならない」とあなたがたに言ったことに、驚いてはならない。風は思いのままに吹く。あなたがたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである』」(5~8節)。

このニコデモとイエスの対話を受けて、ヨハネによる福音書の記者は16節で、田川建三訳で読みますと、「何故なら神はそれほどに世を愛して下さったので、一人子なる御子を与え給うたのだ。彼を信じる者がみな滅びることなく、永遠の生命を持つためである」と語られているのです。

16節に続く17節では「世」(コスモス)という言葉が3回も出てきます。これも田川訳で読みますが、「というのも、神が御子を世に遣わしたのは、世を裁くためではなく、世が彼によって救われるためである」。

ここに「世が彼(イエス)によって救われるためである」と言われています。ヨハネ福音書の「世」は、神に反するものを意味する場合と、単に「現実に存在しているこの世界」というだけの意味に用いることも多いと言われています。そしてこの3章16節、17節の「世」は「現実に存在しているこの世界」を意味していると言えます。

「現実に存在しているこの世界」、現在の世界の現実を皆さんはどう思っているでしょうか。

今年の7月、8月は日本では大変暑い日が続きました。7月、8月の気温としては今年が最高を記録したと言われます。気候温暖化による気候危機が叫ばれるようになってだいぶ経ちますが、CO2削減も進まず、このままですと海の水位が上がって水没する国や都市が出るに違いありません。神が人類にそれを守るべく与えて下さった地球環境を、人類は守るどころか、自らの欲求の充足を求めるあまり破壊してしまっています。

また世界の国々は、20世紀に二つの世界大戦を経験しながら、21世紀になっても戦争はなくならず、この数年はロシアによるウクライナへの軍事侵攻とイスラエルによるガザへの軍事攻撃をはじめ、世界の各地で軍事衝突が起きています。

日本の国も、かつてアジアへの侵略戦争と太平洋戦争によって、アジアの国々をはじめ諸外国の約2000万人の人々の命を奪い、その戦争と戦災によって約300万人の日本人の命を失った戦争犯罪を犯しました。

戦後、その反省に立って、日本の国は二度と再び戦争はしないとの決意を日本国憲法第9条に込めたはずにもかかわらず、台湾有事を理由に、現在の日本政府はアメリカと一体となって日米軍事同盟を強化し、防衛費予算を倍増して軍備増強を進めています。

また、新自由主義的な資本主義が覇権主義的な力を発揮し、国家を越えて資本が世界を支配しています。そのためにグローバルサウスの人々は今も貧困によって苦しんでいます。グローバルサウスの人々だけでなく先進国と言われる国々でも経済格差が広がり、生活困窮者が増えています。様々な差別もあり、一人一人の人間の尊厳が踏みにじられています。

これが現在の世界の現実の一面です。そして私たちはこの現実の世界をその一員として日々生きているわけです。しかもこの世界の現実は命に溢れているというよりは、滅びと死に向かって動いているように思われます。

ヨハネによる福音書が記す「世」も、現代の世界の現実と変わらないと思われます。「神の愛」はそのような「世」を、その独り子を与えるほどに神は愛されたと言うのです。そして、「神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と言われているのです。これが、ヨハネによる福音書が語っている「世を愛する神の愛」です。

愛とは、愛する対象のために最も価値あるものを惜しまずに与える行為です。「主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った」(Ⅰヨハネ3章16節)とヨハネの手紙一の著者が書いている通りです。

愛についての解説やことばの説明ではなく、イエスの生涯そのものが、愛を定義しているのです。なくてもよいものをあたえるのは、愛ではありません。残り物や余分なものを捨てるのは、慈善であっても本当の愛からは遠いことです。自分にとって最も価値あるもの、捨て難いものを、相手のためにあえて捨てるところに愛があります。

愛とは、文字通り身を切ることです。奇跡とは、病人をいやしたり、人間の願望を何でもなかえて上げたりすることではなく、身を切るほどまでに、相手のために自分をさし出すことであり、そのような愛がイエスにおいて示されたということが、もっとも大きな奇跡なのだ、とヨハネは私たちにむかって語り、証ししているのではないでしょうか。

では、「神は御子イエスを世に遣わされることによって、御子イエスによって世が救われる」と言われていますが、それはどのようにしてなのでしょうか。

神から遣わされた御子イエスは「すべての人を照らすまことの光」(1章9節)と、ヨハネ福音書の記者は語っています。この光は、人間の過去と現在のすべてを明るみに出すのです。このような光がこの世に来たということは、私たちにとっては、今や出会いと決断の時である、ということを意味しています。

この光である御子イエスを信じないということは、神の恵みの光に対して、心を閉ざして拒否することです。ヨハネにとっては、裁きは信じないことの結果もたらされることではなく、信じないということがすでに裁きなのです(18節)。

裁きは将来にあるのではなく、神の御子、すべての人を照らすまことの光に対して心を閉ざして受け入れないという現在の姿そのものの中にあるのです。この光である御子イエスを信じることの中にすでに救いがあるのであり、したがって「信じる者はさばかれない」(18節)と言われているのです。

光にうつし出された人間の姿は、すべて例外なく闇の中にあります。そこには、救われる者と滅びる者との二分法はありません。すべての人間は、闇を愛し、滅びに向かって走っています。そして、光が強ければ強いほど、闇も深くなって行きます。

「信じる」とは、闇そのものでしかない自分の姿をうつし出されて、光であるキリストに向かってその生き方の方向を転換することであり、この決断の中に救いがあるのだと、ヨハネはここで言っているのです。

先ほどイエスとニコデモの対話の記事の中で、「風は思いのままに吹く。あなたがたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」と言われていました。信じるということは、霊によって新しく生まれることなのです。洗礼(バプテスマ)がそのことを象徴的に意味しています。光であるキリストに向かってその生き方の方向を転換することなのです。

20節、21節で、「悪を行う者は皆、光を憎み、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光の方に来ないからである。しかし、真理を行う者は光の方に来る。その行いが神に導かれてなされたということが、明らかになるために」と言われています。「真理を行なっている者は光に来る」(21節)のです。

「すべての人を照らすまことの光」(1章9節)である御子イエスを父なる神がこの世に派遣してくださったことによって、その御子イエスから新しい人類の歴史が始まるのです。その御子イエスによる新しい人類の歴史とは、愛である神の御心が支配する神の国の歴史です。

ものすごい悪が存在していると同時に、まことの光に向かって自分自身を転換し、キリストにあって生きている互いに愛し合う人たちが多く存在しているということもまた事実なのです。闇が深くなればなるほど、光の明るさはよりいっそうの輝きを増すのです。

闇が深まるほどに、まことの光としてのイエスの到来は、その喜ばしさを増すのです。救いと滅び、光と闇とを、固定的、平面的に二分するのではなく、「罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた」(ローマ5章20節)とパウロが言っているようにです。

この世を愛する神の愛は、御子イエスを光としてこの世に遣わしてくださり、聖霊の息吹を受けて、その光である御子イエスを信じ、闇の中に生きていた己を方向転換して、光に向かって歩むイエスの兄弟姉妹団である教会をこの世に誕生させてくださったのです。そのことによって神はこの世を救おうとしておられるのです。

ヨハネによる福音書13章34節、35節で、イエスは弟子たちにこのように語っています。「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることを、すべての者が認めるであろう」と。

教会はイエスを主と信じる者たちの群れです。イエスの兄弟姉妹団です。御子イエスによってこの世を救おうとしておられる神の愛を証言する群れです。光である御子イエスを信じて、方向転換して、悔改め(メタノイア)て、互いに愛し合うことによって生きる群れです。

本田哲郎さんは、御自身の聖書翻訳で、信仰を「信じて歩みを起こす」に、「愛」は「大切」、「愛する」は「大切にする」と訳しています。「互いに愛し合う」は「互いに大切にし合う」です。人間の尊厳を互いに大切にし合うということです。「イエスを信じる」ということは、イエスが人間の尊厳を大切にされたように、私たちも互いの尊厳を大切にし合って、イエスを信じて歩みを起こすということなのです。

聖書の教えやキリスト教の教義を学ぶことも、礼拝に出席することも大切ですが、それらはイエスを信じて歩みを起こすために必要なものであって、それが自己目的化されるのはおかしいと思います。

私たちは、「世を愛する神の愛」の確かさを信じて、神の御心が支配する神の国の民の一員とし召されて、イエスの兄弟姉妹団である教会に連なっていることを覚えたいと思います。その教会は、御子イエスの福音を信じて、喜びと希望を持ってこの問題に満ちた世に対峙して生きる者たちの群れなのです。

「世を愛する神の愛」は御子イエスを通して世にその愛を示されました。イエスが十字架にかかり、死んで葬られ、復活して、昇天した後は、聖霊の導きによってイエスの弟子集団である教会を通して、神は世を愛されているのではないでしょうか。

今日は足立梅田教会の皆さんとそのことを確認したいと思いました。 

お祈りいたします。

神さま、今日は足立梅田教会の皆さんと礼拝を共にすることができ、感謝いたします。

神さま、70年の歴史をこの地にあって刻んできているこの足立梅田教会が、イエスを主と信じる群れとして、この地にあってイエス・キリストの福音を宣べ伝えていくことができますようにお導きください。

新しく牧師として赴任された関口先生と教会の皆さんの上にあなたの祝福が豊かにありますように!

この一言の祈りを、イエスさまのお名前を通してお捧げします。  アーメン。

(2024年9月8日 日本基督教団足立梅田教会 創立70周年記念礼拝)

2024年9月5日木曜日

あと3日です!

夕日に映える教会の看板(2024年9月4日 17時46分撮影)

敬愛する各位

初めての方も、懐かしい方も、9月8日(日)北村慈郎先生をお招きしての「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」に、ぜひご出席ください!

北村慈郎先生は、1969年度から1973年度までの5年間、足立梅田教会の第2代牧師として1953年9月に創立した当教会の土台作りに、また特に貧困に苦しむ地域の方々への救援活動に献身的に取り組んでくださいました。

その後、御器所教会(名古屋)、紅葉坂教会(横浜)の各牧師を歴任され、日本基督教団常議員にもなられました。とても優しい方で、多くの人に愛され、慕われています。

現在82歳の北村慈郎先生のご健康が守られ、記念礼拝の恵みに共にあずかることができますようお祈りいたします。

2024年9月1日日曜日

エレミヤの預言

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「エレミヤの預言」

エレミヤ書28章1~17節

関口 康

「イスラエルの神、万軍の主はこう言われる、わたしは、これらの国すべての首に鉄の軛をはめて、バビロンの王ネブカドネツァルに仕えさせる」(14節)

今日のテーマは「エレミヤの預言」です。

エレミヤ書はユダヤ教聖書の第二部「預言者」(ケトゥビーム)の第二部(3大預言書と12小預言書)の前者3大預言書(イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書)に位置します。

エレミヤは「記述預言者」(Writing Prophets)の一人ですが、エレミヤ書は書記バルクが書いたものであることが、36章4節に記されています。

「3大」と「12小」の違いは「3人の偉大な預言者と、12人の小物」ではなく、巻き物の長さ、書物の規模の違いです。

エレミヤ書は3つに区分することができます。彼の生涯は約40年でした。

第1期 ヨシヤ王時代(1~6章):前627年(または626年)~前609年
第2期 ヨヤキム王時代(7~20章):前609年~前598年
第3期 ゼデキヤ王時代(21~52章):前598年~580年代(?)

第1期:ヨシヤ王時代(1~6章)

ヨシヤは8歳で南ユダ王国の王になりました(歴代誌下34章3節)。15歳から16歳の頃に宗教に目覚め、20歳の頃から大規模な偶像破壊運動を始めました。「ヨシヤの宗教改革」と呼ばれます。

エレミヤが預言者として活動を始めたのはヨシヤの宗教改革の開始直後でした。そのため宗教改革にエレミヤが賛成していたかどうかが議論されます。浅野順一先生は「賛成していた」というお考えでした(『浅野順一著作集』第1巻「予言者研究Ⅰ」288頁)。しかし、「賛成していなかった」と考える人もいます(たとえば左近淑先生)。

幼いヨシヤが王になったのは本人の実力ではなく、彼を利用して自分たちの思い描く理想の政治を実現しようとするオトナの力によるもので、ヨシヤは国家官僚たちの傀儡でした。ヨシヤの宗教改革は、異教の偶像や施設を武力で破壊するだけの外面的な改革でした。

エレミヤは言いました。「ユダの人、エルサレムに住む人々は、割礼を受けて主のものとなり、あなたたちの心の包皮を取り去れ」(4章4節)。

エレミヤは心の改革、内面の改革を訴えました。ヨシヤの宗教改革とは方向性が違います。

第2期:ヨヤキム王時代(7~20章)

ヨシヤ王の死をもって南王国の宗教改革は頓挫しました。次に王になったヨヤキムはヨシヤの子でした。

国家は滅亡前夜。政権は弱体化していました。国力の弱さを知る例として挙げられるのは、ヨヤキム王が元はエルヤキムという名前だったのに、エジプト王ファラオ・ネコによってヨヤキムという名前へと改めさせられたことです。

ヨヤキムはエジプトの傀儡でした。国民はエジプト王に納めるための重い税金を課せられました。

その状況の中でヨヤキム王がしたのは、宗教的な熱狂をあおることでした。エレミヤは、ヨヤキム王の政策に反対する預言をしました。「神殿説教」と呼ばれます。

「主の神殿、主の神殿、主の神殿という、むなしい言葉に依り頼んではならない。この所で、お前たちの道と行いを正し、お互いの間に正義を行い、寄留の外国人、孤児、寡婦を虐げず、無実の人の血を流さず、異教の神々に従うことなく、自ら災いを招いてはならない」(7章2~6節)。

「主の神殿」の連呼は、宗教的な熱狂主義を煽る表現です。そのような扇動をヨヤキム政権が行い、国内の宗教的右翼に頼り、政権を維持しようとしました。

そのことにエレミヤは反対し、自国の滅亡を預言し、我々はバビロンのネブカドネツァルの軛にかかるべきであると訴えました。それは戦争の中で犠牲になりやすい、立場が弱い人たちの保護を求めるためでした。とても人道的な訴えでした。

エレミヤは自国の滅亡を預言したため、売国奴呼ばわりされ、孤立しました。悲しみの中でエレミヤは神に訴えました。

「主よ、あなたがわたしを惑わし、わたしは惑わされてあなたに捕らえられました。あなたの勝ちです。わたしは一日中笑い者にされ、人が皆、わたしを嘲ります。わたしが語ろうとすれば、それは嘆きとなり、『不法だ、暴力だ』と叫ばずにいられません。主の言葉のゆえに、わたしは一日中恥とそしりを受けねばなりません。主の名を口にすまい、もうその名によって語るまいと思っても主の言葉はわたしの心の中、骨の中に閉じ込められて火のように燃え上がります。押さえつけておこうとして、わたしは疲れ果てました。わたしの負けです」(20章7~9節)。

孤立など本当はしたくないのだ、しかし、神が語れと命じる言葉を押さえつけると、神の言葉が自分の中で火のように燃え上がるので、語らざるをえないのだと、神の御前で叫びました。エレミヤは苦難の多い預言者でした。

第3期:ゼデキヤ王時代(21~52章)

南ユダ王国最後の王ゼデキヤは、バビロニアの傀儡でした。

バビロニアに従えば生かしてもらえたのですが、最後に反旗を翻して捕らえられ、ネブカドネツァルはゼデキヤの両眼をつぶし、青銅の足枷をはめて、バビロンに連行しました(エレミヤ書39章7節)。それが「第二次バビロン捕囚」(前587年)と呼ばれます。

その10年前、ユダヤ人の中の指導的な立場にあった人たちや、これからそういう立場に立ちそうな人たちがバビロンに連行されました。それが「第一次バビロン捕囚」(前597年)です。

その人数は、「3千人ほど」と記した箇所(エレミヤ書52章28節)と「1万人ほど」と記した箇所(列王記下24章14節、16節)があり、どちらが正しいかは分かりません。

エレミヤの活動が終了したのは「第二次バビロン捕囚」(前587年)の直後です。ユダヤ人の中の宗教的に熱狂的な立場の人々によって誘拐され、エジプトで消息不明になります。おそらく殺害されました。

さて、今日の箇所です。

第28章に描かれているのは、ゼデキヤ王時代のエレミヤです。エレミヤの前に立ちはだかったのは、正反対の言葉を語る預言者ハナンヤでした。

ハナンヤの預言は「主はバビロンの軛を打ち砕く」というものでした。「あらゆる国々の首にはめられているバビロンの王ネブカドネツァルの軛を打ち砕く、と主は言われる」(11節)。

これは、戦争を煽る言葉です。主の約束は、この戦争には絶対に勝利できるということなので、最後まで戦い抜け、ということです。

エレミヤは正反対でした。「軛の横木と綱を作って、あなたの首にはめよ」。その意味は、バビロニアに対して敗戦を認め、敵国の捕虜になるべきだということです。それも人道的観点から述べられたことでした。

「どうして、あなたもあなたの民も、剣、飢饉、疫病などで死んでよいだろうか」(27章13節)とエレミヤは訴えました。その意味は、捕虜になれば国民の生命は守られるが、戦死すれば国民は助からない、ということです。

自分とは反対の言葉を語るハナンヤにエレミヤは立ち向かいました。「ハナンヤよ、よく聞け。主はお前を遣わされていない。お前はこの民を安心させようとしているが、それは偽りだ」(15節)。

エレミヤとハナンヤ。どちらの生き方が正しいでしょうか。「わが国は必ず勝利する」と甘い言葉を語るハナンヤは人気があったでしょう。その反対のエレミヤは孤立しました。

わたしたちはどちらを目指すべきでしょうか。偽りではなく真理を語り、弱い人の側に立つことが大事ではないでしょうか。

(2024年9月1日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年8月27日火曜日

足立梅田教会創立70周年記念礼拝のお知らせ

再来週9月8日(日)午前10時30分より、足立梅田教会創立70周年記念礼拝を行います。当教会第2代牧師の北村慈郎先生を説教者にお迎えします。どなたもぜひご出席ください。

足立梅田教会創立70周年記念礼拝ポスター

(ウェブ版)
https://www.adachiumeda.church/2024/08/70thAnniversary.html

(モバイル版)
https://www.adachiumeda.church/2024/08/70thAnniversary.html?m=1

2024年8月25日日曜日

全地よ、喜びの叫びをあげよ

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「全地よ、喜びの叫びをあげよ」

詩編98編1~9節

関口 康

「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え」(4節)

今日の説教の準備は難しかったです。詩編98編について書かれた解説書がなかなか見つかりませんでした。

浅野順一先生の全11巻ある『浅野順一著作集』(創文社)の第4巻(1982年)が「詩篇研究」ですが、詩編98編の解説はありませんでした。

私が1980年代後半の東京神学大学で旧約聖書緒論を教わった左近淑先生の『詩篇研究』(新教出版社、初版1971年、復刊1984年)の中にも、詩編98編の解説はありませんでした。

ハイデルベルク大学のヴェスターマン教授(Prof. Dr. Claus Westermann [1909-2000])の『詩編選釈』(大串肇訳、教文館、2006年)にも詩編98編の解説はありませんでした。

やっと見つけたのはドイツの聖書註解シリーズ『ATD(アーテーデー)旧約聖書註解』第14巻「詩編90~150篇」です。この中に詩編98編の解説がありました。

著者はテュービンゲン大学神学部の旧約聖書学者アルトゥール・ヴァイザー教授(Prof. Dr. Artur Weiser [1893-1978])です。しかし解説はかなり古風でした。歴史的な読み方への踏み込みが足りない感じでした。

私が愛用しているオランダ語の聖書註解シリーズにも、詩編98編の解説が見つかりました。最初に調べれば良かったですが、オランダ語がすらすら読めるわけではないので、最後にしました。De Prediking van het oude testament(旧約聖書説教)というシリーズですが、学問的な聖書註解です。

詩編98編の解説を書いたのはタイス・ブーイ博士(Dr. Thijs Booij)です。1994年に出版された『詩編 第3巻(81~110編)』です。

“Thijs Booij (1933) studeerde aan de Vrije Universiteit Amsterdam theologie”(タイス・ブーイ(1933年)はアムステルダム自由大学で神学を学んだ)という記述がネットで見つかりました。1933年生まれだと思います。今も生きておられたら91歳です。

ブーイ先生の解説に私は納得できました。手元にこれ以上の材料はありませんので、ブーイ博士の解説に基づいて詩編98編について説明し、今日的意味を申し上げて今日の説教とさせていただきます。

私は学問をしたいのではありません。聖書を正確に読みたいだけです。自分が読みたいように読むことが禁じられているとは思いません。しかし、たとえば今日の箇所に「新しい歌を主に向かって歌え」と記されていますが、これはどういう意味でしょうか。「作詞家と作曲家に新しい歌を作ってもらって、みんなで歌いましょう」という意味でしょうか。

その理解で正しいとして「新しい歌」でなければならない理由は何でしょうか。「古い歌は時代遅れなので歌うのをやめましょう」ということでしょうか。この詩編が何を言いたいのかを知るために、歴史的な背景を調べる必要があるのではないでしょうか。

ブーイ博士の解説に第一に記されているのは「詩編98編は詩編 96 編と強く関連している」ということです。

「どちらも主(ヤーウェ)の王権について語り、万民の裁判官として来られる主を敬うよう被造物に呼びかける讃美歌である。主の王権については『王なる主』(6 節)として言及されている。主は王として地を裁くために来られる。詩編 98 編はティシュリ月の祝祭を念頭に置いて作曲された。

主の王権は多くの文書の中でシオンと神殿と結びついている。この曲が宗教的な目的以外の目的で作曲されたとは考えにくい。ユダヤ人の伝統では、主の王権はティシュリ月の初日の新年の祝賀と結びついている。」(Ibid.)。

「ティシュリ月」とはユダヤの伝統的なカレンダーです。太陰暦の7月であり、太陽暦の9~10月であり、農耕暦の新年の初めです。ブーイ博士の説明を要約すれば、ユダヤ人の「新年」は秋に始まり、新年祭のたびに「主(ヤーウェ)こそ王である」と宣言する儀式が太古の昔から行われていて、その儀式で歌うために作られた讃美歌のひとつが詩編98編だろう、ということです。

同じ新年祭の儀式で歌われた、時代的にもっと古い讃美歌は詩編93編であるとのことです。詩編93編は、言葉づかいやリズムの格調が高く儀式にふさわしいというのが、そうであると考える理由です。

ブーイ博士が第二に記しているのは「詩編 98 編のもうひとつの特徴は、第二イザヤとの強い親和性(verwantschap)にある」ということです。

「第二イザヤ」(Deuterojesaja; Tweede Jesaja)とは、南ユダ王国で前8世紀に活動した預言者イザヤ(イザヤ書1章から39章までの著者)とは別人です。

イザヤ書44章28節の「キュロス」が前6世紀のペルシア王の名前です。その名前を前8世紀のイザヤが知っていたとは考えにくいというのが、第一と第二を区分する、わりと決定的な理由です。

「第二イザヤ」は、40章から55章までを記した前6世紀のバビロン捕囚とそれに続く時期に活動した預言者です。「第三イザヤ」は56章から66章までの著者です。第二イザヤと同じ前6世紀の人ですが、聖書学者の目でヘブライ語の聖書を読むと文体や思想が全く違って見えるそうです。

詩編98編と第二イザヤの「親和性」についてのブーイ博士の説明に基づいて作成した表は次の通り。

第二イザヤ(イザヤ4055章)

詩編98

4210節a

新しい歌を主に向かって歌え。

1節b

新しい歌を主に向かって歌え。

5210節a

 

主は聖なる御腕の力を国々の民の目にあらわにされた。

2節b

 

主は恵みの御業を諸国の民の目に現し

 

5210b

 

地の果てまで、すべての人がわたしたちの神の救いを仰ぐ

3節b

 

地の果てまですべての人はわたしたちの神の救いの御業を見た。

4423

 

天よ、喜び歌え、主のなさったことを。地の底よ、喜びの叫びをあげよ。

4

 

全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。

529

 

歓声をあげ、共に喜び歌え、エルサレムの廃墟よ。

5節b

 

琴に合わせてほめ歌え。琴に合わせ、楽の音に合わせて。

5512節b

山と丘はあなたたちを迎え、歓声をあげて喜び歌い、野の木々も、手をたたく

8

潮よ、手を打ち鳴らし、山々よ、共に喜び歌え。

ブーイ博士によると「これらの類似点は、詩編98編の作者が第二イザヤの預言に精通し、そこから当時の出来事を理解していたという意味で説明しうる。詩編98編は前538年以降のイスラエルの復興を歌っている。バビロン捕囚からの解放後の初期のものと考えられる」とのことです。

「当時の出来事」とはバビロン捕囚(前597~538年)です。

ブーイ先生の解説の紹介はここまでにします。これで分かるのは、「新しい歌」の「新しさ」とは、国家滅亡という究極の喪失体験(バビロン捕囚)を経て、そこから解放されて国家再建を目指す人々に求められる、心の入れ替えを意味する、ということです。

もはや古い歌(讃美歌)で十分でないのは、主が前代未聞の奇跡を起こしてくださったからです。

わたしたちはどうでしょうか。世界はどうでしょうか、日本はどうでしょうか。足立梅田教会はどうでしょうか。

足立梅田教会に限らせていただけば、最近起こった出来事は牧師が交代したことです。以前と今と何も変わっていないでしょうか。

もし変わったとして、どのように変わったかは私が言うことではありません。もし「新しい時代の訪れ」を感じるなら「新しい歌を歌うこと」が求められています。

1954年版の讃美歌はやめて「讃美歌21」に取り換えましょう、という程度の意味ではありません。「歌は心」です(淡谷のり子さん)。根本的な心の入れ替えが必要です。

神の御業が更新されたなら、わたしたちにも「新しい思い」が必要です。喜びと感謝をもって共に前進しようではありませんか。

(2024年8月25日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年8月18日日曜日

モーセの契約

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教 「モーセの契約」

出エジプト記34章1~9節

関口 康

主はモーセに言われた。『前と同じ石の板を二枚切りなさい。わたしは、あなたが砕いた、前の板に書かれていた言葉を、その板に記そう』」(1節)。

みなさんはモーセをどれくらいご存じでしょうか。再び旧約聖書学の視点でお話しいたします。ユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」が、キリスト教聖書の最初の5巻と同じです。これらが「モーセ五書」と呼ばれてきました。五書の著者はモーセであるとキリスト教会の長い歴史の中で信じられてきたからです。

しかし、そのように今日主張する人は、よほど極端な立場の人か、中身を読んでいない人です。最も単純な理由は、申命記34章5節に「主の僕モーセは、主の命令によってモアブの地で死んだ」と記されていることです。自分の死を自分で書ける人はいないだろうというわけです。それだけでなく、中身を読めば読むほど五書をひとりの著者が書いたと考えることが不可能であることを示す証拠が次々と見つかりました。

それで現在考えられているのは、いわゆるモーセ五書は全く異なる時代や文化的背景の中で成立した4つほどの資料が組み合わされてできたものであるということです。資料名を古い順に言えば、「ヤーヴィスト資料(J)」(前10~9世紀、南ユダ王国で成立)、「エローヒスト資料(E)」(前8世紀、北イスラエル王国で成立)、「申命記資料(D)」(前7世紀 北王国で核の部分が書かれ、南王国で成立)、「祭司資料(P)」(前6~5世紀、バビロン捕囚とそれに続く時期)です。

これで分かるのは、五書が最終形態に至ったのは、「祭司資料(P)」が成立する紀元前6世紀以降である、ということです。しかし、モーセが活躍したのはエジプトの王(ファラオ)がラメセス2世だった頃なので、前1250年頃(前13世紀)です。全く異なる時代です。

創世記以外の4巻(出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)の内容はすべて「モーセの生涯」です。創世記の内容は、1章から11章までが「神話」、12章から50章までが三代続く「族長物語」(アブラハム、イサク、ヤコブ)と「ヨセフ物語」です。

創世記は、続く4巻と無関係でなく、モーセの生涯の「前史」としての意味があります。「なぜユダヤ人のモーセがエジプトにいたのか」についての説明が創世記に書かれています。

モーセの生涯にとって最も決定的な意味を持つのは、直前のヨセフとの関係です。アブラハムの子であるイサクの子であるヤコブに12人の子どもがおり、11番目の子がヨセフです。ヨセフは父の溺愛を受け、10人の兄がヨセフに嫉妬し、ヨセフをエジプトに下る奴隷商人に売り飛ばし、ヨセフがエジプトに行くことになりました。しかし、ヨセフがエジプトで出世して王(ファラオ)に仕える司政官になり、エジプトを大飢饉の危機から救った英雄になりました。

そのとき、カナンにいたヨセフの父ヤコブ、ヨセフの10人の兄、そしてヨセフの後に生まれた12番目の子が飢饉の危機にあり、エジプトに助けを求めて来ました。自分をエジプトに売った兄たちが自分にひれ伏すのを見たヨセフは、最初は意地悪な対応をしますが、我慢できなくなって自分はあなたがたがエジプトに売り渡したヨセフであると告白します。そしてヨセフの計らいで父ヤコブと11人の兄弟がエジプトに移住することになりました。

しかし、その頃のエジプトとユダヤ人の良好な関係は、時代の流れの中で失われていきました。ヨセフのことをもはや知らない時代のエジプト王(ファラオ)が、国内に増え過ぎたユダヤ人に自分の国を乗っ取られると危機感を抱き、ユダヤ人に奴隷労働を課し、ユダヤ人家庭に生まれる男子をすべてナイル川に投げ込めと命令を出しました。

しかし、その命令に逆らって、生まれた子を生かすことにした父アムラムと母ヨケベドが、その子を葦で編んだかごに入れ、ナイル川のほとりの葦の中に隠しました。川に水浴びに来たファラオの娘がそのかごを見つけ、抱き上げました。

その様子を見ていた、その子の実の姉ミリアムがファラオの娘のところに駆け寄り、その赤ちゃんに乳をあげる乳母を紹介しましょうかと言いました。ファラオの娘は了解し、ミリアムが連れて来たのが、実の母ヨケベド。ファラオの娘が赤ちゃんにつけた名前が「モーセ」でした。

モーセはエジプトの王宮でファラオの子どもと等しい教育を受けました。しかし、ユダヤ人を虐待するエジプト人の姿を見て、憤慨し、殺してしまいます。殺人罪でエジプトを追われる身となり、シナイ半島のミディアンへ逃亡し、そこで妻ツィポラと結婚し、子どもが与えられて幸せな生活を送っていました。

しかし、エジプトで奴隷労働を強いられているユダヤ人たちへの思いがモーセの中で強くなりました。そのとき、主なる神がモーセに現れ、ユダヤ人たちをエジプトから、元いたカナンの地まで連れ帰る仕事をあなたがしなさいと命令しました。

それで、モーセはエジプトに戻ってファラオと交渉し、ついにファラオが折れて、ユダヤ人を去らせることを許可しました。しかし、実際にユダヤ人が出て行こうとするとエジプト軍の戦車600台がユダヤ人を追い、紅海の前まで追い詰めました。モーセが杖をあげると、紅海が真っ二つに割れて海の中に道ができ、ユダヤ人たちが通って向こう岸にたどり着きました。エジプト軍が全員紅海に入ったときモーセが杖を下げると海が元に戻り、エジプト軍が全滅しました。

しかし、そこまでして苦労してエジプトを脱出したユダヤ人たちが、430年間にわたるエジプトでの奴隷労働に慣れてしまい、奴隷的な意味で命令に従うことはできても、自分の意志と主体性をもって立つことができませんでした。自由になったはずの彼らが、砂漠には水がない、食べ物もないと不平不満を言いました。「お前のせいでこうなった、どうしてくれる」とモーセに食ってかかりました。

そこでモーセは神から示されてシナイ山に登り、山の上で二枚の石板を切り出し、十の戒めを石板に刻みました。それがモーセの十戒(出エジプト記20章、申命記6章)です。

しかし、問題はその先です。今日の箇所に描かれているのは、モーセが二枚の石板をシナイ山から民のもとに持ち帰ったとき、民はモーセが自分たちを捨てて逃げ去ったと思い込み、モーセと主なる神に頼ることをやめ、金で子牛の形の偶像をつくり、それをみんなで拝んでいました。

それを見たモーセは激怒し、二枚の石板を投げつけて破壊し、金の子牛を火で焼いて粉々にして水の上にまき散らして、民に飲ませました。それで、反省したユダヤ人たちに、神がもう一度、二枚の石板を与えてくださった、というのが今日の箇所の内容です。

今日の結論は単純です。主なる神はご自身の民を奴隷状態の暴力やあらゆる苦しみの中から救い出す、強い意志を持っておられます。人間は奴隷状態のままでいてはいけない、自由に生きなければならないと、神が強く望んでおられます。人間は自分の都合次第で、どんな相手でも裏切ります。しかし、主なる神は一度かわした約束をご自身のほうから破ることはありえない方です。

だからこそ、神はその民に何度でも石板を与えてくださいます。民は神への信頼を忘れ、金の子牛の偶像を拝み、モーセは怒ってその石板を叩き割ってしまいました。しかし、神は何度でも民に悔い改めの機会を与え、何度でも十戒を石板に書くように、モーセに命じました。モーセの十戒は、神がその民との間でかわしてくださった、不変の愛の約束です。

イエス・キリストにおいて示された神の愛も、同じ形をしています。わたしたちは欠けが多く、どうしようもなく罪深い存在です。しかし、イエス・キリストにおいて神はわたしたちを何度でも赦してくださり、どこまでも愛し続けてくださいます。神がわたしたちを救う意思は、不変で確実です。人間は変わっても、神は変わりません。

(2024年8月17日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年8月11日日曜日

ヨブの苦難

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

説教動画

※以下の説教は、動画で話したこととは内容が違います。動画を見てほしいです!

説教「ヨブの苦難」

ヨブ記29章1~17節

関口 康
 
「ヨブは言葉をついで主張した。 どうか、過ぎた年月を返してくれ。神に守られていたあの日々を」(1-2節)

私は一昨日の8月9日(金)から順天堂大学病院(正式名称「順天堂大学医学部附属順天堂医院」)に入院しています。この説教の原稿は病室で書いています。代読してくださる方に特別な感謝を申し上げます。

今日のテーマはヨブ記です。内容に入る前に、もう少し広い視点からヨブ記の位置づけを考えておくほうが内容を理解しやすくなると思いますので、そのようにします。

ヨブ記はユダヤ教聖書の第一部「律法(トーラー)」、第二部「預言者」(ネビイーム)、第三部「諸書」(ケトゥビーム)という三部構成の中の、最後の「諸書」の中にあります。

「諸書」の中に聖書学者たちが「知恵文学」と呼んでいる書物が4つあります。箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、詩編の一部です。詩編「の一部」と言ってもごくわずかで、聖書学者たちがそうだと断定するのは1編、32編、34編の3つくらいです。

箴言、ヨブ記、コヘレトの言葉、詩編の一部がなぜ「知恵文学」と呼ばれるのかと言いますと、これらの書物に共通する「特徴」があるからです。その「特徴」はいくつかありますが、その中で最もきわだったものは「応報思想」です。

「応報思想」の考え方は非常に単純です。「善い行いをした人は善い報いを得る。悪い行いをした人は悪い報いを得る」というものです。

「善い行い」または「悪い行い」のほうを原因と呼び、「善い報い」または「悪い報い」のほうを結果と呼ぶとすれば、原因と結果の関係(因果関係)がねじれていないのが応報思想です。

原因と結果との関係がねじれ、善い行いをした人が悪い報いを得ることがあってはならないし、悪い行いをした人が善い報いを得るようなこともあってはなりません。それは「世界の秩序が狂うこと」を意味します。

しかもそれは、あくまで聖書の世界の話です。「善い行い」の最たるものは「神を信じ、神の掟に従って生きること」です。それを忠実に守る人は善い報いを得られます、幸せな人生を送ることができますと、そのことを歌っているのが詩編1編です。

逆も然りです。「悪い行い」の最たるものは「神に背き、神の掟に従わずに生きること」です。そのような人は不幸な人生を送るであろう。このことも詩編1編に歌われています。詩編1編は典型的な知恵文学です。

そのように教える「知恵文学」の中に「ヨブ記」が位置づけられます。しかし、ここまでお聴きくださったみなさんの中で、ヨブ記を一度でもお読みになったことがある方は、「その説明は変だ」とお思いになるのではないかと予想します。

もう少し旧約聖書をご存じの方も、次のようにお感じではないでしょうか。

「箴言というのが、神を信じる人は善い報いを得るが、神に背く人は悪い報いを得る、というような応報思想で貫かれているという話はよく分かる。しかし、ヨブ記とコヘレトの言葉は正反対ではないか。」

ヨブ記の主人公ヨブは、神を信じ、神の掟に忠実に従って生きていました。しかし、それにもかかわらず、激しい不幸に見舞われ、家族を失い、財産を失い、自分の体の全身にできものができて、親しい友人たちがヨブを慰めに来たとき、それがヨブだと分からないほど変わり果てた姿になったという話です。

そのヨブ記のどこが「知恵文学」(応報思想)なのでしょうか。

この問題について、今年3月で定年退職されましたが、東京神学大学で長いあいだ旧約聖書の教授だった小友聡(おとも・さとし)先生が、明確な答えを出してくださいました。

小友先生によると「知恵文学」には2種類あり、成立年代が全く違います。時代が古いほうは「楽観的知恵文学」であり、その典型が箴言です。箴言はイスラエル王国が最盛期であった紀元10世紀から近い時代に成立しました。

「善いことをすれば善い報いがあります。受験をがんばればいい大学に入れて、いい就職ができて、いい財産を築けて、いい家庭を作れる。不幸な人は、がんばらなかったからだ」というような楽観的な言葉が通用する時代は、政治や経済が上向きで、調子がいいときだ、というわけです。

しかし、小友先生はそこで「待った」をかけます。

現実の社会をまじめに生きている人たちが本当に善い報いを得ていますか、全くそうなっていないではありませんかと。現実は正反対で、まじめに生きている人は報われず、ずる賢い人たちこそ出世レースに勝ち残るというような話は、いくらでもあるではありませんかと。

現実に照らすと、「知恵文学」の特徴である「応報思想」には明らかに限界があるのです。ヨブ記とコヘレトの言葉は「応報思想には明らかに限界があること」を教えるために書かれた「悲観的知恵文学」です、というのが小友先生の説明です。

「悲観的知恵文学」としてのヨブ記とコヘレトの言葉は、イスラエル王国が滅亡した紀元前6世紀の「バビロン捕囚」の後に書かれました。社会全体が暗く、努力する人が報われない時代背景を反映している書物です。

さて、ここからヨブ記の解説に集中します。

ヨブは少しも悪いことをしなかったのに悪い報いを得ました。それでヨブは絶望しました。「わたしの生まれた日は消えうせよ」(3章3節)とまで言いました。

3人の友人がヨブを慰めに来ました。しかし、その言葉が慰めになっていません。彼らがヨブに言っているのが「応報思想」だったからです。

しかもそれは「善い行いをした人は善い報いを得る」のほうではなく「悪い行いをした人は悪い報いを得る」のほうでした。

「ヨブさん、あなたは自分が忘れているだけで、悪いことをしたのだ。だから今の結果になったのだ。その罪を思い出して悔い改めなさい」と、そういう言葉で彼らはヨブを説得しようとしました。それでヨブは、ますます怒り、心を閉ざすことになりました。

「応報思想の限界を教えること」がヨブ記の目的であると考えると、よく分かる話だと思いませんか。

わたしたちも、そのような「信仰的な言葉」で、だれかの心を深く傷つけていないか、自分の胸に手を当ててよく考えてみるべきです。

(2024年8月11日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年7月28日日曜日

善いサマリア人

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「善いサマリア人」

ルカによる福音書10章25~37節

関口 康

「さて、あなたはこの三人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」(26節)。

(※以下の内容は、午前9時からの「教会学校」と、10時半からの「聖日礼拝」とで重複しないように連続でお話ししたことを、ひとまとめにしたものです。)

今日の聖書箇所は「善いサマリア人のたとえ」です。内容に入る前に「サマリア人」についてお話しします。

サマリア人と他のユダヤ人のルーツは同じですが、サマリア人は他のユダヤ人からバッシングやハラスメントを受けていました。なぜ差別されたかといえば歴史と関係あります。要するに別の国だった時代がありました。その年代は紀元前926年(928年説あり)から722年(721年説あり)までです。

その後、サマリアが中心の北イスラエル王国が隣国アッシリアによって滅ぼされました。そのときの北王国の難民の生き残りが「サマリア人」です。紀元前597年(596年説あり)には南ユダ王国のほうも隣国バビロニアによって滅ぼされました。

私は今「差別は仕方ない」という意味で言っていません。差別が起こった原因を述べているに過ぎません。要するに歴史が関係あります。別の国だった時代がありました。その時代に、両国の思想や文化の違いが生まれました。両国とも別の国によって滅ぼされましたが、その後も仲良くできない関係であり続けました。

さて今日の箇所です。前半と後半に分かれます。前半はイエスとある律法学者との対話、後半はイエスご自身がお語りになった「善いサマリア人のたとえ」です。

律法学者が主イエスに「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」と質問しました。主イエスの答えは、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という教えと、「隣人を自分のように愛しなさい」(英語でLove your neighbor as yourself)という教えを実行すればよい、というものでした。

しかし、この答えに律法学者は満足しませんでした。カチンとくるものがありました。自分を正当化しなければならないという思いがわいてきました。彼は自分は完璧な人間でありたいと願っていたのだと思います。「神」を愛することについては任せてほしいと胸を張って言えたでしょう。しかし、「隣人」を愛することについては躊躇がありました。

もし「隣人」の意味が全世界の全人類を指しているということであれば、「それは不可能です」と答えざるをえません。なぜなら世界には、愛しうる人もいれば、愛しえない人もいるからです。それが世界の現実です。

「隣人を自分のように愛すること」を実行することについてはやぶさかではありません。忠実に実行します。ですから、その「隣人」の定義を教えてください。「隣人」の範囲を決めてください。出題範囲を教えてもらえないテストなど受けられませんと、この律法学者は主イエスに反発しているのです。

その問いへの主イエスの答えが「善いサマリア人のたとえ」でした。たとえ話の内容自体は難しくありません。ある日、エルサレムからエリコまでの直線距離20キロの下りの山道で強盗に襲われて半殺しされた人が道端に倒れていました。その人の前を「祭司」と「レビ人」が通りかかったのに、2人ともその人を助けないで立ち去りました。

「祭司」はユダヤ教の聖職者、「レビ人」は祭司を助ける人たちです。神と教会に仕える立場にある人たちです。その人たちが、目の前で死にそうになっている人をなぜ助けないのでしょうか。倒れている人はユダヤ人であると想定されていると思います。祭司やレビ人の「隣人」の範囲にいると思います。それなのになぜ。

3人目に通りかかった人が、サマリア人でした。他のユダヤ人たちから差別されていた人です。その人が、半殺しにされて倒れていた人を助けてあげました。「さて、あなたはこの3人の中で、だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか」と主イエスがお尋ねになりました。「その人を助けた人です」と彼は答えました。

全世界の全人類を助けることはひとりの力では無理です。しかし、自分の目の前で倒れているひとりの人を助けることは絶対に不可能ということはないはずです。

「何になりたいかではなくだれに必要とされているかが大切である」とコメディアンの萩本欽一さんが言ったそうです。その言葉と似ているとも言えますが、違うとも言えます。

「善きサマリア人のたとえ」の心は、そこに困っている人がいるなら、そこでつべこべ言わないでとにかく助けることが大事なのであって、「私はだれに必要とされているか」ということなどを特に意識しなくても、あなたのことを必要だと思ってくれる人が現われるかもしれませんよ、というくらいです。

 * * *

先週の礼拝後、1階で今日数年ぶりの再開となる教会学校の打ち合わせを兼ねて、かき氷の練習と試食会をしていたとき、その前日に私がアマゾンに注文した本を宅配業者が届けてくれました。それは三宅香帆さんという方の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書、2024年)という今年の4月に発売されたばかりの本です。

著者の情報を何も知らずに買いましたが、三宅さんは私の息子と同い年のようで、1994年高知県出身とのことです。京都大学大学院卒業後、会社勤めをしたそうですが、働いているうちに、それまで大好きだった本を読むことができなくなったそうです。そこで「本を読むために会社を辞める」という一大決心をなさり、文筆業に専念することになさった方です。

この本をまだお読みになっていない方のために、踏み込んだ説明はしないでおきます。それよりも、私がなぜこの本を買おうと思ったかをお話しします。それは、この本のタイトルの「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」という疑問は、私自身が長年抱いてきた謎そのものだったからです。同じことを考えてくれる人がいて良かったと思いました。

しかし、私は牧師です。本が読めなくなることがあるのか、それだと仕事が成り立たないのではないかと、心配されるかもしれません。

私の中で「聖書を読むこと」は「読書」に含まれません。それが私の仕事ですから。私にとって「聖書」は、会社員の方が業務上取り扱っておられる書類と同じです。「働いていると聖書が読めなくなる」ということは、私に限ってはありません。読めなくなるのは、それ以外の本です。

正直に言います。言った後に後悔するかもしれませんが。私は「小説」を読む能力が子どもの頃からありません。絶望的にその能力が欠落しています。お医者さんに診てもらえば何か病名をつけてもらえるかもしれないと思うほどです。

小学校から高校まで国語の授業で、いろんな文学や小説を読め読めと言われて、実際に読もうとするのですが、さっぱり分かりません。「村上春樹の小説を読んだことがない」と言ったら呆れられたことがあります。そのときの冷たい反応で私もだいぶ反省しまして、「小説を読む力がない」と公言しないようにしてきました。隠すほどのことではありませんが。

それを私は自分の恥だと思っていて、苦にしていますので、なんとか克服したいと願っているのですが、どうしようもなくて、いろいろ考えて最近始めたことは、ネットでテレビドラマや映画を大量に観ることです。動画ならよく理解できるので、動画を先に頭に入れておけば、小説の文字を追うだけで理解できるようになるかもしれないと考えました。聖書もそっちのけで映画やドラマばかり観ているようで申し訳ないのですが。

なぜ今この話をしているのかといえば、今日の聖書箇所と関係づけたがっているからです。

三宅香帆さんの『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』の中で私が特に重要だと思いましたのは、「情報」と「知識」を区別しておられることです。「情報」は「知りたいこと」を意味する。しかし「知識」は「知りたいこと」に「ノイズ」が加わるというのです。

「ノイズ」は要するに「雑音」。なんらかの疑問を持ち、専門書や辞典やネットなどを調べることで答えを得るために集めるデータが「情報」です。しかし「知識」には「情報」以上のものが加わります。今まで考えたことも悩んだこともなかったようなこと、現時点の自分にとってまだ問題になっておらず、関心すら持っていない「余計なこと」が加わる。それが「ノイズ」であって、「情報」に「ノイズ」が加わって初めて「知識」になる、というのが三宅さんの説明の大意です。

興味深い説明だと思いましたが、同時にぞっとしました。断罪された気持ちでした。私が小説を読む力が無い理由が分かった気がしたからです。私が小説を読むことができないのは「情報」だけが欲しくて「ノイズ」を嫌っていたからかもしれないと。

聖書とキリスト教についての「情報」は受け容れることができるし、それが自分の仕事だと思っている。しかし、それ以外のすべては「ノイズ」なので、私を巻き込まないでほしいと距離を置く。そんな牧師はダメでしょう。人に寄り添うことができないではありませんか。

勘の良い方は、これから私が言おうとしていることにすでにお気づきだと思います。主イエスの「善いサマリア人のたとえ」に登場する祭司とレビ人が、傷ついた人の前を素通りしてしまうのはなぜなのか。その謎を解くためのヒントが見つかった気持ちでいます。

三宅香帆さんは「仕事をしていると本が読めなくなる」理由を「ノイズ」に求めておられます。エルサレムからエリコに下る道を通っていた祭司とレビ人が、死にそうになって倒れていた人の前を素通りしたのは、その人を「ノイズ」だと認識したからではないでしょうか。

3人の通行人のうちこの人を助けた唯一の存在が、サマリア人でした。この人は能力が高い人だと思います。傷口への対処法を知り、救助から看護依頼までスムーズで、2デナリ(1デナリは1日の労働賃金なので2デナリは今の2万円)の宿泊費を差し出し、不足分が発生すればそれも自分に請求してほしいとまで言う。心に余裕があり、常に広い視野を持ち、他人を助けることに躊躇がありません。こういう人はモテると思います。

「隣人愛の教えを実行するのは難しい」といえば、そのとおりです。しかし、不可能であると言って拒否するのではなく、可能なことから取り組んでいけばよいと思います。

互いに愛し合うことができるわたしたちひとりひとりになり、そのような教会を目指すことが求められています。

(2024年7月28日 日本基督教団足立梅田教会 教会学校・聖日礼拝 連続説教)

2024年7月21日日曜日

信念はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「信念はあるか」

ローマの信徒への手紙14章13~23節

関口 康

「従って、もう互いに裁き合わないようにしよう。むしろ、つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないように決心しなさい」(13節)

今日の説教のタイトルは「信念はあるか」です。一般的な意味です。「信仰はあるか」と問うていません。私の意図にいちばん近いのは「ポリシー」です。

説明は不要でしょう。「有言実行」「首尾一貫」「いまやらねばいつできる わしがやらねばたれがやる」(岡山県出身の彫刻家・平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)氏の言葉)などに言い表された人間の意志や感情です。

「いつ、どこで、だれが」をさらすのは控えますが、最近の事例です。「引っ越して何か月か経ちました。借家にひとりでいるとコトコト音がします」と始まる。私なら「それはネズミか地震ですね」とすぐ答えてしまいますが、「もしかして幽霊が」と悩みはじめる方々がおられます。

方角、日にち、場所、食べ物などの迷信もそうです。「迷信」と呼ぶ時点で価値判断が入っています。それを信じている人にとっては、迷信どころか真理そのものです。

「土用の丑(うし)の日にウナギを食べる」というのも迷信です。なぜ「丑の日」なのでしょうか。子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥。だから何なのでしょう。厄年、還暦、星座、血液型などもそうです。聖書の教えからすると、どれもこれも異教です。

目くじらを立てる意味で申し上げていません。私は自分が「へび年のさそり座生まれ」であることは知っています。テレビや雑誌の占いをじっと見てしまいます。学校でこの話をすると生徒に怪訝な顔をされます。真に受ける子がいて申し訳ないです。

今日の箇所は、14章の最初から始まっている話題の結論部分です。そのテーマは「信仰の弱い人を受け入れなさい」というものです。

「信仰の弱い人」を受け入れるのは「信仰の強い人」の側です。弱い人が強い人を受け入れることは不可能です。体重の問題に少し通じます。通常は、体重の重い人のほうが、軽い人を背負ったり抱えたりするはずです。その逆は難しいでしょう。筋肉の強さの問題は別です。

しかし、そこに「強い」か「弱い」かという力関係を表わす区別が持ち込まれると混乱が起こる危険があります。「弱い」と言われただけで、見下げられている気分になる人が出てきます。

パウロが言おうとしている「信仰の強い人」の意味は、神以外のすべての存在から自由であり、何ものにも束縛されない人のことです。「信仰の弱い人」はその逆です。いろんな束縛から自由でない人です。

その具体例がいくつか14章以下で取り上げられています。「何を食べてもよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜だけを食べている」(2節)。動物を屠殺してその肉を食べるようなことはしないし、できない人がいます。

別の例も挙げられています。「ある日を他の日よりも尊ぶ人もいれば、すべての日を同じように考える人もいます」(5節)。

私の話をすることをお許しください。私は「すべての日は同じ」です。牧師34年目、盆・暮れ・正月と全く無縁の人生を送ってきたことと間違いなく関係あります。

「教会暦」に関してすら、私は「すべての日は同じ」です。レント(受難節)の断食なども、私自身はしたことがないし、だれかに勧めたこともありません。

しかし、ローマの信徒への手紙14章でパウロが問題にしているのは、わたしたちが自分はそうであると思っているからと言って、自分の立場を、特に教会の中で、自分の近くにいる人たちに強制してはいけない、ということです。

よく分かる話です。納得できます。しかし、この文脈に「強い」か「弱い」かというような混乱を招く価値観が割り込んで来て、しかも明らかにパウロ自身は「強い人」の側に立って語り続けるのでややこしくなるのですが、「信仰の弱い人」には他の人に自分の立場を押し付けがたる傾向がある、というのがパウロの言い分の前提です。

「すべてが同じ」である人にとっては、だれかに何かを押し付ける具体的なものがそもそも何もありません。「制限はない」と言っている人のほうが、「制限がある」と言っている人よりも「許容範囲が広い」とは言えるでしょう。

「強い人」か「弱い人」かという区分よりは「広い人」か「狭い人」かのほうが、争いが少なくなるでしょうか。ますます混乱するでしょうか。

「弱い人」が自分の立場を周りに押し付けたがるのは、孤立を恐れるからではないでしょうか。自分の考えに自信を持てないので、周りを巻き込んで多数派になろうとする。「強い人」は強い確信があるので孤立が怖くない。しかし、それはそれで人を傷つけるものがあるので、話は単純ではない。

結論は「もう互いに裁き合わないようにしよう」(13節)です。そして「つまずきとなるものや、妨げとなるものを、兄弟の前に置かないようにしよう」(同上節)です。

日本の教会で昔から問題にされてきたのが禁酒禁煙の問題です。賀川豊彦先生のような方が禁酒運動に熱心に取り組みました。私の父の受洗のきっかけは「賀川伝道」でした。だからかどうかは分かりませんが、私の両親も禁酒禁煙主義者でした。私の出身教会の牧師もそうでした。

私が東京神学大学に入学したとき「禁酒禁煙」の誓約書を書かされました。1984年4月です。今どうなっているかは知りません。教会で問題にされるときは健康問題だけではありません。神の前での生き方の問題にされます。

私は禁酒禁煙に関して自分がどうしているかについて、人前で言ったり書いたりしたことはありません。「人前で言ったり書いたりしたことがない」だけです。私の両親はすでに二人とも亡くなりましたが、親の前で一度も、私がどうしているかを話したことがありません。

そうしてきたことをずるいと思っていません。嫌がる人がいると知りながら、からかいや冷笑を伴う挑発的な態度をとるのを控えて来ただけです。私の話を先にしてから言うのは順序が逆ですが、パウロの意図はいま私が申し上げたことと同じです。

「信念はあるか」と問わせていただきました。肉や酒やたばこなどをすべて断つという誓いを一生貫きますかと問うていません。あるいは、早寝早起き、ジョギング、英会話の勉強などを毎日欠かさずすること、など。多くの人は守り切れないでしょう。

もし誓うなら、一生守れそうなことを誓おうではありませんか。それは「嫌がる人がいることを知りながら、故意に嫌がらせするようなことは決してしない」という誓いです。これなら守れるでしょう。成熟した人間(おとな)らしい態度だと言えます。

パウロはここまではっきり言っています、「キリストは、その兄弟のために死んでくださったのです」(15節)と。

「その兄弟」とは、宗教的な理由で動物の肉を食べず、野菜だけを食べる人です。キリストがその兄弟のために、ご自身の貴い命を差し出して死んでくださったのだから、せめてその兄弟の前で肉料理を食べるのを我慢することぐらいできるでしょうという意味です。冗談でも言っているかのような気分になりがちですが、これは真剣かつ深刻な話です。

食事、方角、日にち、場所などの問題は先祖代々受け継いできたものであったり、地域の歴史や風土に関係していたりします。それを重んじている人たちにとっては感性の問題です。生理的な、肌感覚の、きわめてデリケートな問題です。ずけずけ物を言い、ずかずか土足で踏み込んで良いようなことではありません。

だからこそ、「デリケートな問題に対してはデリカシーを持つべきである」というのが今日の箇所の教えの意味であると申し上げておきます。

これをわたしたちの「ポリシー」にする。それは不可能な話ではなく、可能な話です。互いの感性を重んじ合うことが、互いの存在を重んじ合うために大事です。

(2024年7月21日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

2024年7月15日月曜日

9月8日(日)に「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」を行います

敬愛する各位

わたしたち足立梅田教会(創立1953年9月13日)は昨年(2023年)「創立70周年」を迎えました。70周年記念行事として今年4月に『70周年記念誌』(非売品)を発行しました。そして今年9月8日(日)に「70周年記念礼拝」を行います。

「70周年記念礼拝」の説教者に当教会第2代牧師の北村慈郎先生をお迎えいたします。ぜひ多くの方にご出席いただきたく、謹んでご案内申し上げます。

わたしたちは、北村先生へのご挨拶と打ち合わせを兼ねて、本日7月15日(月)市川三本松教会で行われた「フルートとオルガンによる北村慈郎牧師支援コンサート」に出席しました。

コンサートは約100名出席。演奏会第1部は三・一教会牧師の表見聖先生によるオルガン演奏。第2部は紅葉坂教会員の佐治牧子氏のフルート演奏、吉岡望氏のオルガン演奏。そして支援会代表の荻窪教会牧師の小海基先生による支援アピール。最後に北村先生ご自身が挨拶されました。

北村先生はとてもお元気でした。「みなさんによろしくお伝えください」と言づてをいただきました。9月8日(日)「足立梅田教会創立70周年記念礼拝」のため、説教者の北村慈郎先生のためにお祈りいただけますと幸いです。

北村慈郎牧師支援コンサート(2024年7月15日 市川三本松教会)
北村慈郎先生(2023年7月15日 市川三本松教会)
『合同教会の「法」を問う』(新教出版社、2016年)

2024年7月14日日曜日

助け船はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「助け船はあるか」

使徒言行録27章27~44節

関口 康

「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(34節)

「14日目の夜になったとき、わたしたちはアドリア海を漂流していた」(27節)という、わたしたちにとって日常的とは言いにくい、たいへん衝撃的な描写から始まる箇所を、今日は朗読していただきました。

一体、何が起こったのでしょうか。

先週の箇所で使徒パウロはローマ総督フェリクスの前で弁明していました。弁明の主旨は、自分は何も悪いことをしていない、ということでした。

フェリクスの在任期間は紀元53年から55年まで(諸説あり)。主イエスの十字架刑の20年後。主イエスが総督ポンティオ・ピラトの前に引き出されたのと同じように、パウロも総督の前に引き出されました。

フェリクスは、自分がキリスト教を信じることはありませんでしたが、理解を示してくれました。フェリクスはユダヤ人の要求をかわして、パウロの死刑を延期しました。

フェリクスは善人だったと、著者ルカが言いたいのではありません。フェリクスについて「パウロから金をもらおうとする下心もあった」(24章26節)と記されています。パウロがそんなお金を持っていたとは思えないのですが。

その2年後、パウロの拘留状態は変わりませんが、ローマ総督がフェリクスからフェストゥスに交代しました(24章27節)。パウロを拘留する側の責任者が交代したことを意味します。

このフェストゥスの性格も前任者フェリクスと大差ありません。「ユダヤ人に気に入られようとして」(25章9節)行動するタイプの総督だったことを著者ルカが明らかにしています。

フェストゥスがパウロに「わたしの前で裁判を受けたいと思うか」と問いました。その答えは「私は皇帝に上訴します」(25章11節)というものでした。フェストゥスは驚きました。「皇帝に上訴したのだから、皇帝のもとに出頭するように」(25章12節)と返さざるをえませんでした。

パウロは外地タルソスで生まれ育ったユダヤ人。ローマ帝国の市民権を持っていました。そのため、自分の死刑が問われる裁判において、イタリアにいるローマ皇帝への直訴の権利を持っていたのです。

それでフェストゥスは次の段階としてパウロをユダヤのアグリッパ王に会わせました。アグリッパ王としては、ローマ総督の側から要請を受けることは、両国の力関係を考えると悪い気はしなかったはずです。

パウロが面会を許可されたアグリッパ王の謁見室には、フェストゥス、ローマ軍の千人隊長、町のおもだった人たちが同席しました(25章23節)。

フェストゥスはパウロを最初はかばってくれました。ユダヤ人たちが「こんなやつ生かしちゃおけねえ」とめちゃくちゃに騒いで暴れるんですが、私にはどうしてもこの男が悪い人間に見えないんです。だけど、当の本人が「ローマ皇帝に上訴する」だと、とんでもないことを言い出すもんですから、イタリアまで船で護送することにしました、と言う(25章24~27節)。

そこまで聞いてアグリッパも直接パウロから話を聞きたくなったようで「お前は自分のことを話してよい」と許可し(26章1節)、パウロが怒涛の弁明を始めます(26章2~23節)。

すると、フェストゥスがいらいらしはじめます。特にキリスト教の「死者の復活」の教理についてパウロが話し始めたあたりから、聴くに堪えないと思えたようです。あからさまな暴言を吐いて、パウロの弁明を妨害しはじめます。

このやりとりが記されているのは26章24節から32節までです。私はこの箇所のやりとりが大好きです。ぜひ一流の俳優さんたちに演じていただきたいです。

私が考えた配役は次の方々です。使徒パウロは堺雅人さん、フェストゥス総督が香川照之さん、アグリッパ王は北大路欣也さん。TBS日曜劇場「半沢直樹」(2013年、2020年)のメインキャストのみなさんです。

フェストゥス(香川さん) 

「パウロ、お前は頭がおかしい。学問のしすぎで、おかしくなったのだ」

パウロ(堺さん) 

「フェストゥス閣下、わたしは頭がおかしいわけではありません。真実で理にかなったことを話しているのです。王はこれらのことについてよくご存じですので、はっきり申し上げます。(中略)アグリッパ王よ、預言者たちを信じておられますか。信じておられることと思います」

アグリッパ(北大路さん) 

「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか」

パウロ(堺さん) 

「短い時間であろうと長い時間であろうと、王ばかりでなく、今日この話を聞いてくださるすべての方が、私のようになってくださることを神に祈ります。このように鎖につながれることは別ですが」

みんな唖然としたところで、三者のやりとり終了。アグリッパがフェストゥスに「あの男は皇帝に上訴さえしていなければ、釈放してもらえただろうに」と耳打ちして終わる。

こうしてパウロはローマへ護送されることになりました。航路については、新共同訳聖書の聖書地図9 「パウロのローマへの旅」をご覧ください。その船が嵐に巻き込まれて難破し、「アドリア海」で漂流しました。それが今日の箇所の状況です。

「アドリア海」は、現在は「イタリア半島とバルカン半島の間の海域」を指しますが、当時は「シチリア島とクレタ島の間の海」を指します。聖書地図の航路は間違っていません。

船に乗っていたのは「276人」(27章37節)。パウロの拘留地エルサレムから出発。地中海へと出航したのはシドンの港から。クレタ島の「よい港」までたどり着けました。

しかし、季節は冬。パウロはこれ以前に2回も伝道旅行を経験してきた人で、旅の知識がありました。冬の船旅は危険なので、これ以上は進むべきでないと乗船者に忠告しますが、百人隊長は船長や船主のほうを信頼し、パウロの忠告を聞き入れませんでした。囚人の言うことに従う軍人がいるだろうかと考えると、無理もない気がします。

とにかく彼らはクレタ島で冬を過ごしましたが、南風が吹いてきたので、これはチャンスと錨(いかり)をあげて、イタリアに向かって出航しました。するとそのとき「エウラキオン」と呼ばれる真逆の北東からの暴風に襲われ、あっという間に難破船になってしまいました。

浮力を保つために、積み荷を捨て、船具まで捨てました。「幾日もの間、太陽も星も見えず、暴風が激しく吹きすさぶので、ついに助かる望みは全く消えうせようとしていた」(27章20節)という描写は、鬼気迫るものがあります。

そのときパウロが立ち上がります。彼が始めたのは、全員を励ますことでした。

「私の言い分を聞いていればこんなことにはならなかった」とは言いました。しかし「ざまあみろ」と吐き捨てませんでした。絶望している人々に追い打ちをかけませんでした。「元気を出しなさい」(27章22節)と言いました。「勇気を出しなさい」とも訳せます。

もうひとつ、パウロがしたのは、食事をとることをみんなに訴えることでした。絶望して食事がのどを通らなくなった人々に「どうぞ何か食べてください。生き延びるために必要だからです。あなたがたの頭から髪の毛一本もなくなることはありません」(27章34節)と言いました。

発言は単純です。「元気出してね」と「ごはん食べてね」です。それがすごいと思いませんか。

状況は同じだし、むしろ不利な立場の囚人なのに、なぜかひとりだけ心が折れていないし、他の人を全力で励ます。

こういう人になりたい、どうすればなれるか知りたい、と思いませんか。

今日の聖書箇所がわたしたちに教えていることは、276人を乗せた絶望の難破船の「助け船」は、その中に乗っていたひとりの囚人、パウロその人だったということです。

「助け船」の意味は、「水上の遭難者、または遭難船を救助する船。転じて、困っているときに力を貸してくれるもの」。

あなたの「助け船」は誰ですか。あなたは、誰の「助け船」になりたいですか。

(2024年7月14日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)

教会学校のお知らせ



「教会学校のお知らせ」

今年の夏はとても暑いですね!

皆さんの健康が守られますように、心からお祈りしています。

7月28日(日)午前9時より、子ども向けの「教会学校」を行います!

聖書のお話、讃美歌、お祈り、おやつの時間があります。

ぜひ出席してください。歓迎します!

日本キリスト教団 足立梅田教会

〒123-0851 足立区梅田5-28-9
TEL 03-3887-4010
adachiumedachurch@gmail.com
www.adachiumeda.church

2024年7月11日木曜日

「モバイル版」をご利用ください

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)

みなさまへ 大切なお知らせです。


当ブログをPCからご覧になる方は

ウェブ版(ウェブバージョン)

http://www.adachiumeda.church

スマートフォンやタブレットなど携帯機器からご覧になる方は

モバイル版(モバイルバージョン)

http://www.adachiumeda.church/?m=1

をクリックして、ブックマークしてください。

それぞれの機器の条件に適合した表示へと変換されます。

グーグルやヤフーなどの検索サイトから「足立梅田教会」で検索すれば見つかります。

「モバイル版」のお知らせが遅くなりましたことを、心からお詫びいたします。

これまでご不便をおかけし、申し訳ありませんでした。

2024年7月11日

ブログ管理者 関口 康


2024年7月7日日曜日

希望はあるか

日本基督教団足立梅田教会(東京都足立区梅田5-28-9)


説教「希望はあるか」

使徒言行録24章10~21節

関口 康

「『彼らの中に立って、「死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ」と叫んだだけなのです』」(21節)

猛暑日が続いていますが、東京の梅雨はまだ明けていません。昨日は強い雨が降っていました。今日は都知事選挙と都議会議員補欠選挙です。暑いし、雨は降るし、忙しい。それでも日曜日ごとに教会に集まり、礼拝をささげるわたしたちを神が喜んでくださっています。

キリスト教主義学校は、来週あたりが期末テストで、再来週から夏休みです。今ごろは「期末テストの準備があるので教会に行けない」という生徒もいれば、「学期課題の教会出席レポートがまだ書けていないので駆け込みで教会に行く」という生徒もいます。

学校では毎日礼拝です。讃美歌、聖書、説教、祈りです。聖書の授業もあります。教会に通っているキリスト者よりも彼女/彼らのほうが聖書を開いている時間が長いかもしれないほどです。英語、数学、国語、理科、社会、体育、芸術、部活、文化祭・体育祭・修学旅行、中には塾通い、恋愛・失恋。汗と涙と泥まみれの青春の中で、聖書も学びます。教会にも来てほしいと思いますが、彼/彼女らは戦いの毎日です。温かく見守ってあげたいです。

牧師の働きは公私の区別が難しいです。先週火曜(7月2日)は西千葉教会(千葉市中央区)での「東京教区伝道部婦人全体集会」に私と教会員3名で出席しました。大島元村教会と波浮教会の菅野勝之牧師が講師で、「伊豆諸島伝道」がテーマの講演を聞きました。出席者109名。

翌日の水曜日(7月3日)は聖学院大学(埼玉県上尾市)で「聖学院と教会の懇談会」に出席。講師は吉祥寺教会の吉岡光人牧師。「コロナ後の伝道」がテーマの講演を聞きました。出席は教会側64名、学校側25名、合わせて89名。

偶然ですが、菅野先生と吉岡先生のおふたりとも1990年3月に東京神学大学大学院を卒業した私の同級生です。私も含めて3人とも伝道35年目。おふたりの講演は、基本的な方向性が同じでした。共通のテーマは「伝道」です。21世紀に生きるわたしたちにとって神はどなたであり、神がわたしたちに何をしてくださり、わたしたちは神から何を受け取り、味わい、感謝して喜んで生きることができるのかを、みんなが知りたいと願っています。

ここから先に申し上げることが、みなさんをがっかりさせるかもしれません。私の耳で聴いたかぎり、おふたりの講演のどちらにも「答え」はありませんでした。批判ではありません。「伝道」に「答え」はないことが分かりました。こうすればこうなる式の、ハウツーものの伝道メソッドはありません。最終的に「伝道」とは、人の手を離れた「神のみわざ」なのです。

菅野先生が「祈り」の大切さを訴えました。「道路と移動手段があれば自由にどこへでも行ける本土の教会と、島の教会の事情は構造的に違う。だからこそ離島の教会のために祈ってほしい」と言われました。その通りだと思いました。

吉岡先生が、緊急事態宣言をきっかけに吉祥寺教会で始めた「インターネット礼拝」について言われたことが私の印象に残りました。

いま吉岡先生は日本基督教団出版局の理事長でもあり、「文書伝道」が日本のキリスト教界にもたらした多大な貢献と共に、その限界もよくご存じです。「文書伝道」の代表的存在は三浦綾子さん。三浦さんのファンは大勢いる。しかし、その方々が教会に通うかどうかは別。同じことがインターネット伝道に起こっている。

しかし、吉岡先生が言いました。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」。その通りだと思いました。

菅野先生と吉岡先生の講演とは直接関係ありませんが、7月の礼拝説教のタイトルを工夫してみました。今日(7日)が「希望はあるか」、来週(14日)が「助け船はあるか」、再来週(21日)が「信念はあるか」。「あるかシリーズ」全3回。そして今月最終週(28日)が「善いサマリア人」です。その日に久しぶりの教会学校を行います。たくさんの子どもたちに来てもらいたいです。

人それぞれの感じ方があるでしょう。「あるか」と問われると「ない」と反射的に答える方々がおられるでしょう。その時点ですでに、機嫌を損ねておられるかもしれません。特に教会の看板に書いてあったりすると、ますます反発されるかもしれません。「希望はある」と断言するほうがよいでしょうか。「あるか」と、どうして疑問文なのでしょうか。挑発的でしょうか。そのあたりも含めて、皆さんに考えていただきたいと思いました。

今日の聖書の箇所に登場するのは使徒パウロとフェリクスです。フェリクスが何者かはさほど重要ではありません。在任期間に諸説あるようですが、紀元53年から55年まで、エルサレムに駐留していたローマ総督。イエスの十字架刑の判決を下したローマ総督はポンティオ・ピラト。約20年後、今度はパウロを死刑にしたい人たちが彼を逮捕し、イエスのときと同じように、初めに最高法院で尋問し、次にローマ総督官邸に引き出しました。

パウロがフェリクス相手に言っているのは、自分は何も悪いことをしていないという弁明です。パウロは第2回伝道旅行を終えて、自分自身の働きのために、また地中海沿岸に生まれた多くのキリスト教会のために、祈りと献金をもって支援してくれていた人々に報告し、また逆に諸教会からの献金を届け、感謝する礼拝をささげるために、エルサレムに来ていました。長旅の疲れをいやす意味もあったでしょう。そのエルサレムに来て12日しか経っていないのに、このわたしが大暴れして町じゅうを扇動して混乱に陥れたりするわけがないと言いたがっています。

そもそもパウロにとってキリスト教を宣べ伝えることは、町を混乱させるとか市民生活を破壊するとか、そんなことのためにしているのではなく、彼にとって譲れない「真理」を話しているだけなので、他にどうすることもできません。

パウロがこのときフェリクスの前で繰り返すことによって強調しているのは、キリスト教的な意味での「死人のよみがえり」についての信仰告白です。「更に、正しい者も正しくない者もやがて復活するという希望を、神に対して抱いています。この希望は、この人たち自身も同じように抱いております」(15節)。「彼ら(最高法院で自分を訴えた人たち)の中に立って、『死者の復活のことで、私は今日あなたがたの前で裁判にかけられているのだ』と叫んだだけなのです」(21節)。

「フェリクスは、この道についてかなり詳しく知っていた」(22節)の「この道」はキリスト教です。フェリクスはキリスト教の信徒ではなかったが、理解者だった。フェリクスがその裁判を延期してくれてパウロが命拾いをしたという話です。「キリスト教のファンを増やすことも大切ではないか」という先ほどの吉岡先生の言葉を思い出しませんか。フェリクスは、キリスト教の人は危険な破壊工作のようなことはしないと分かっていたようです。ありがたい理解者です。

パウロがフェリクスの前で述べたのは「死者の復活の希望」でした。「正しい者も正しくない者もやがて復活する」と言われているのが重要です。これは、我々人間がどんな策略を立て、陰謀を企て、黒を白と言うかわりに白を黒と言い、真実を知る者を抹殺し、最高裁の結審まで事実を隠し通したとしても、死者の墓を掘り起こしてでも、神ご自身が、もう一度でも何度でも、裁判をやり直してくださることによって、神が真理を明らかにしてくださるという信仰だと言えます。

この希望は、人を裏切りません。だれにも負けずに自信をもって真理を貫くことができます。

これほどの希望が、あなたにありますか。謹んでお尋ねいたします。

(2024年7月7日 日本基督教団足立梅田教会 聖日礼拝)